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梅原猛の研究の交点としての能

梅原猛の最後の研究対象は、能楽であった。その研究のアプローチの一つは、怨霊であった。世阿弥が能楽の始祖として位置づける秦河勝は、聖徳太子に仕えていた。その聖徳太子は、梅原によれば、死後一族が惨殺されたことによって怨霊となった。秦河勝もそれにより島流しに会い、さらに世阿弥も佐渡へと島流しにあう。能楽の通奏低音として、こうした怨霊の存在があるのではないかというのが、梅原の仮説であった。この怨霊を軸に歴史を紐解いていくやりかたは、初期梅原哲学の基軸となっていた。

もうひとつが、天台本覚思想による読み解きであった。天台本覚思想における「草木国土悉皆成仏」という言葉は、能の中に何度もでてくる。たとえば『杜若』では、杜若の精は最後、悟りを開き成仏して消えていく。

ここで杜若を悟りへと導いたのは、在原業平の和歌であった。能の中では、御経によって成仏するという話に加えて、和歌が重要な役割を果たす。草木国土がすべて成仏するのだという本覚思想は、能においてはさらに、草木国土すべて歌を詠むのだという芸術観へと展開される。『高砂』では、松風や水の音も和歌であるという一節がある。世阿弥はこれを、藤原長能の言葉として引く。ここにあるのは、草木国土は、歌を読むがゆえに仏性を持つというロジックだ。梅原は、ここに日本の思想の独自性を見る。

しかしこの思想は、天台宗において急に出現した考え方ではなかった。その源流は、遠く縄文時代由来のものだと梅原は考えた。1990年代の梅原の研究は、縄文から続く森の思想の解明が中心であった。そのモチベーションは、人間中心主義の文明批判、環境保護の思想的基盤の構築にあったが、個人的には今から見るとややわかり易すぎるような気がしていた。怨霊のような、なにか得体のしれない怪物に比べると、こうした文明論は月並みに感じた。

ところが、怨霊と森の思想が、能という対象においてつながったとたん、その様相が違って見えるようになってきた。怨霊と森の思想への関心は、現代における梅原猛だけではなく、遠い過去の世阿弥においても、同時に存在していたのである。このふたつはおそらく、表裏の関係であろう。森の思想も、怨霊によって裏打ちされることによって、グッと深みが増してくる。世阿弥の能を理解するためにも、このふたつの響きを同時に聞くことが重要だろう。私の今現在の能への関心をスケッチするとすれば、このようになる。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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