未来をプランするな、未来に賭けろ
一日一本のつもりが、最近では二本アップできるようになってきた。書き始めの段階では全体が見通せていないのだが、書いているうちに次の文章がスラスラと出てくる。ChatGPTほどは早くないものの、頭の中のベクトル空間が、次にふさわしい単語を紡ぎ出してくれる。100語先は見通せないが、2、3語先の展開を切り開いていく。そんな気分だ。
一方で、最後の決め台詞が決まっていたりする。まずはそれをタイトルに置いたりもする。この文章の決め台詞は、「賭けることでしか未来は来ない」という文章だ。これは大雑把な文章の方向性を決めてくれる。「未来をプランするな、未来に賭けろ」という言葉が、たった今、思い浮かんだ。これでこの文章は半分できたようなものだ。
さて、この文章で書きたいことの結論をすでに述べてしまったのだが、しょうがないので補足する文章を書いてみよう。YouTuberがでてきたとき、多くの人が馬鹿にしていた。いや今でも、登録者が数人しかいない配信者がいたら、心のどこかで馬鹿にしてしまうだろう。「そんな人数で配信を続けても意味がない」。これは極めて妥当な結論だ。
しかしなかにはそこからグングン登録者を増やす人がいる。そして有名YouTuberの仲間入りをする。そのたびに、「ああ、この人は賭けに勝ったのだ」と思う。人生の貴重な時間をベットして、そのリターンを得た。誰もが成功するわけではない。成功者だけを見るのは成功者バイアスだ。しかし、そこに可能性があることは間違いない。その可能性は、宝くじよりもよっぽど高い。
この文章を書き続けることによって、何が起こるかということについては、ちょっと目論見もある。外れると恥ずかしいのでここでは書かないが、たぶん、そういう展開があるだろうと思う。なにより、続けることに苦労がないし、なんなら楽しい。脳内ChatGPTは、意外と疲れ知らずで、今日は東京から名古屋へ移動してきた出張先のホテルで、この文章を書いている。「未来をプランするな、未来に賭けろ」という文章に向かって、出力し続けている。自分が読者の、完全オリジナルエッセイを読み進めている気分だ。
タクシーに乗るとき、最近は必ずGO Pay対応のタクシーに乗るようにしている。GO Payでは、チップを支払える仕組みがあり(対応していないタクシー会社もあるのだが)、かならず支払うようにしている。タクシーの運転手さんへの感謝という意味もあるが、これは僕なりの、世界への祝福の表現だ。500円ほどのチップだが、支払う義務もない500円が人から人に手渡されることが、「この世界も悪くない」ということのひとつの証左であるように思うのだ。
そしていよいよ「未来をプランするな、未来に賭けろ」のタイミングが来たようだ。私たちは、世界を祝福し、そして世界から祝福されてこの世に生まれてきた。困難も多い。しかし、その中で私たちは、この世界に生まれることに賭けた。人生の時間を使うことは、常に賭けだ。
キャリアパスを計画して、その通りにキャリアアップする人生ももちろんいい。しかし私は、賭ける人生でありたい。仮にそれが悲劇で終わったとしても、未来に賭けるということ自体が、すでに祝福なのだ。辛い仕事のあと、短距離のお客さんがなぜかくれたチップで買った飲み物を飲むときのタクシー運転手さんの気持ちを想像したりする。
「未来をプランするな、未来に賭けろ」。なんのリターンもない500円のチップが、この偶有性に満たされた世界に対する私の態度表明なのだ。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授