ポスト・フォトジャーナリズムとしての千賀健史
アレック・ソスの展示と同時にスタートした「日本の新進作家 Vol.21 現在地のまなざし」。時間がなくサッと見ただけなので、展示についての批評は改めて行いたいが、先日、BUGで行われた個展を見た千賀健史については、すこし紹介しておきたいと思う。
千賀は、特殊詐欺をリサーチしてそれをテーマに参加型の展示を行っていた。床にマス目があり、指示どおりに動いていくことで、さまざまな詐欺に遭って人生を棒に振る人生ゲームのような仕掛けも行われていた。こうしたサービス精神から見えづらくなっているが、その文脈はまずは、フォトジャーナリズムである。
フォトジャーナリズムは、特に第二次大戦、ベトナム戦争などで、社会的にも大きな影響力をもった。湾岸戦争はビデオゲームのようだと言われ、その主導権が動画に移ったものの、それでもオイルまみれの鳥の写真などは、記憶にある人も多いのではないだろうか。イラクがペルシア湾に流した原油が原因とされ、イラクを批判する文脈で使われたが、その後、アメリカが石油精製施設を破壊したことが原因だと言われている。そのことを揶揄する宝島社の広告は話題になった。
フォトジャーナリズムは、その写真が真実であることが大前提とされていたが、しかし実際にはそうとは限らない。ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」の嘘もそうだ。この写真にまつわる嘘という負の部分を、千賀は引き継いでいく。センセーショナルに囃し立てる。悪を演出し、その悪を徹底的に批判するよう促す。過剰なまでに、旧来のフォトジャーナリズムの振る舞いをなぞりながら、その結果、そこに含まれる嘘を嘘として誇張するのである。千賀の作品は、フォトジャーナリズムを反転させながら受け継いでいくのである。
だから、千賀の作品を前にすると、すごく居心地が悪い。もっと気持ちよく、悪いものを悪いと断罪したいのだが、実は千賀の作品に鏡写しになるのは、私達自身の姿だからだ。油まみれになった鳥を見て、悪の枢軸であるであるイラクを批判する。今、フォトジャーナリズムをやるなら、そんな単純なプロパガンダではないはずだ。
複雑な操作をやっている千賀の作品は、まずはこうしたフォトジャーナリズムの文脈で見ることが、作品を楽しむポイントではないかと思う。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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