分断を避ける冷静な語り口
10月5日にスタートした東京国際写真際、その中で行われたトークセッションはなかなか聞き応えがあった。その中でも「Alternative Vision: A Female Perspective」と題するセッションでは、1974年にMoMAで行われた「The New Japanese Photography」展で、なぜ女性の写真家が選ばれなかったのかという点について、小林紗由里によるていねいな調査が紹介され、非常に興味深く聞いた。
この展示において、15人の日本人写真家が選ばれたのだが、この15人はすべて男性であった。そのことは当時から違和感を感じる人もいたという。ここでバッサリと、MoMAのジョン・シャーカフスキーやディレクターとして関わった山岸章二を批判することは簡単だろう。
しかし小林は、ここでしっかりと踏みとどまり、地に足のついた調査を開始する。たしかに当時、日本において女性写真家の数は少なく、また山岸の編集する『カメラ毎日』でも、女性写真家がまったく取り上げられない、ということはなかった。小林は、非常に冷静な視点で、このジェンダーバランスを議論していた。当時の空気感が、小林の発表を通じて、直接伝わってくるようだった。
小林の発表の中で、もうひとつ非常に興味深い指摘があった。それが、日本人の写真技術がどのように海外で受け入れられたかという点だ。具体的には、アレ、ブレ、ボケと呼ばれる、日本独自の写真表現に対する評価である。
この展覧会の行われた1974年に6年前の1968年に、写真雑誌『provoke』が創刊されており、「The New Japanese Photography」展に選出された森山大道も翌年の2号から参加している。「思想のための挑発的資料」と銘打たれた『provoke』では、政治の季節を迎えていた日本において、アレ、ブレ、ボケの写真表現を意識的に取り入れた。独自の進化を遂げたこの日本写真に対して、当時、「なぜ、日本人の写真技術は低いのか」という議論があったのだというのだ。
直接、その論文を見ていないので、どうしてそういう理解になったのかよくわからない。今日の目から見れば、あれだけ徹底的にブレてしたら「わざとだろう」と思うのが当然だが、小林曰く、十分な説明がなされなかったために誤解を受けたのだという。小林は言わなかったが、日本人は写真技術で劣っているはずだという思い込み、差別があったことは間違いないだろう。
これで思い出したのが、PUFFY AMI YUMIだ。私がニュージャージーに1年ほど住んでいた2003年当時、アメリカでアニメの主題歌を歌うなど人気の高かった彼女たちは、ニューヨークでもライブを行っていた。ライブハウスで行われたそのライブに行くと、日本では絶対に取れないような最前列が確保できて、PUFFYのふたりはもちろん、後ろでリーダーシップを取る古田たかしのドラムもしっかり堪能できた。アメリカ音楽のルーツを色濃く表現する奥田民生の音楽が、こうしてアメリカの地で聞けることに、ちょっとした感動を覚えた。
しかし驚くべきことに、(どの媒体だったかすっかり忘れてしまい、また検索しても見つからないのだが)PUFFY AMI YUMIがビートルズのパクリであり、オリジナリティがないのだという評論が掲載されていたのを目にして、ひっくり返った! いや、あれはユーモアたっぷりのオマージュだろう。どんなセンスをしているんだと、本当にびっくりしたのだが、でもそれは、アレブレボケ写真と同様、日本人を見下しているから、そう見えてしまう、そう思い込んでしまうのだ。
しかしこの差別の構造はここで終わらず、その後は日本が韓国などのエンタテイメント作品に対して、「日本の真似」と評論する、いわゆる差別の再生産が行われていくことになる。逆に言えば、アメリカ人のそうした意識もまた、ヨーロッパのモノマネと言われるコンプレックスからくるものかもしれない。
だから、「なぜそう思うのか」ということについて、冷静な分析が必要になる。簡単に「差別だ」と言いたくなる気持ちを押させることが重要になる。ここで気持ちよく言い切ることのバックラッシュが、世界を分断するからだ。こうした何重写しにもなる複雑な問題を思い返しながら、あらためて小林紗由里の冷静な語り口を頼もしく思った。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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