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世阿弥が試みた日本書き換えの仕掛け

昨日、日記猿人時代からの知り合いであるせんべいさんのパーティにお邪魔して、そこで知り合った方に「能の面白さ」について聞かれたので、かなり思いつきで話してしまった。書くのと話すのとではやはりスピード感が違って、着想をまず芋づる式に巻き取るには、話すのはなかなかいい。今日はそれを、書くことでかるく調理しておきたい。

日本のアーキタイプには、縄文と弥生の相克がある。これは日本劣等の地政学的な条件からくるものかもしれない。山の中に住んでいて、川魚やジビエ、栗や簡単な栽培なども行いながら豊かな生活をしていた縄文時代の日本に、稲作とともに弥生人がやってくる。稲作は広い土地を必要とし、また一度に多くの収穫を得られることから、まとまった数の人が集団で定住するようになる。そこに、支配―被支配の関係も生まれてくることになった。

まったくライフスタイルの違うふたりは、当然衝突した。ときどき山から降りてきては田の畦を壊して帰っていく縄文人を、弥生人は「土蜘蛛」などの蔑称で呼んだ。この縄文人の振る舞いは、スサノオの振る舞いとして反復される。スサノオは田んぼを嵐、神殿に汚物を投げ込み、高天原を追放される。追放されて降り立ったのが出雲国であり、その出雲は大和と対立をして、日本書紀と古事記には、スサノオの子孫である大国主命が「国譲り」をしたとされている。おそらくだが、この国譲りから遡って、スサノオは神の位に位置付けられたのだろうと思う。それは、スサノオの背景にある縄文に対する供養でもあった。

能『土蜘』は、葛城山に住むという土蜘蛛の精が、源頼光に取り付いて病気にするという物語だ。複式夢幻能の形式に則って、後シテにおいて能舞台に土蜘を召喚し、頼光の家来によって討ち取られる。最初に私が演能したのは、この『土蜘』だった。私自身が縄文となって、みずからの身体を通じて、縄文の無念を引き受けたいと思ったからだ。

先日の舞囃子『山姥』もまた、縄文的色彩に彩られた存在だ。山にいる山姥は、里にいる翁と対称となる存在である。世阿弥はその山姥を、やはり複式夢幻能の形式によって能舞台に召喚し、念仏でもって供養する。その山姥は、山姥の山巡りの曲舞で有名となった遊女の前に現れる。この遊女は、世阿弥の分身だ。ここにメタシアターの構造があることは、以前の記事で紹介した。山巡りを繰り返しながら姿を消していく山姥を舞いながら、本当に切なく、苦しくもなった。

日本書紀と古事記は、日本のこうした対立の歴史を調停するための国家プロジェクトであった。その意味を、世阿弥はよくよく理解していた。そして、能の中で、無念に打ちひしがれる怨霊を召喚し、その心を演じてみせた。平家物語に着想を得た演目を、彼はいくつも書いている。平家と源氏の対立もまた、彼にとって見ると縄文と弥生の対立が紡ぎ出す、あざなえる縄であり、そして何よりも、室町時代にあった世阿弥のもっとも直近の相克は、南北朝であったことは間違いないだろう。

世阿弥は、南朝に関係があった。世阿弥の父・観阿弥の母、つまり世阿弥の祖母が楠木正成の姉妹であったという古文書がある。世阿弥は当然、南朝へのシンパシーを持っていたはずだ。世は北朝・足利の時代。その絶頂期の義満に保護され、もちろん南朝への想いを直接語ることはできない。しかし、この対立が歴史上、何度も繰り返されてきたことを知る世阿弥は、別の時代の、同じような境遇にある人々に憑依し、南朝の無念を成仏させようとした。日本書紀や古事記が行おうとした、日本の繰り返される対立の物語のアップデートを、彼は一人で、その身一つに背負って行おうとした。彼の発明である、複式夢幻能というシステムを使って。

その企みを、おそらく足利義満は知っていただろう。それは、世阿弥の目を見ればわかる。能『藤戸』は、源頼朝の家臣である佐々木盛綱が、自分を手伝ってくれた若い男を非道にも惨殺した話だ。殺された男の母親が、盛綱に訴えるところから物語が始まり、後シテではその男の亡霊となって現れ、盛綱が殺害する場面を、生々しく再現する。舞台上、杖で二突きする所作の、剣が生身の肉体に刺さるリアリティには、圧倒される。さらに悪龍の水神となって恨みを晴らそうとするところで、物語は急転直下、盛綱の供養により成仏する。


さるにても忘れがたや
あれなる浮洲の岩の上に
我をつれて行く水の
氷の如くなる刀を抜いて
胸のあたりを刺し通し
刺し通さるれば肝魂も
消え消えとなる処を
其まま海に押し入れられて
千尋の底に沈みしに

世阿弥『藤戸』

この痛烈な武家批判を、どのようにして武士の前で演じたのであろうか。

義満亡き後、世阿弥は佐渡へと島流しにあう。その理由は明らかにされていない。「千尋の底に沈みし」男の運命は、世阿弥の運命そのものでもあった。能舞台で演じたその運命を、実際の人生において、彼は引き受けることになった。そのことの重さが、現代にまで伝わってきているのである。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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