記号接地の本当の問題
昨日の夜、岩澤先生との議論で、記号接地問題について話題に上がった。記号としての言葉が、現実の世界の事物に接地しているかというこの問題は、AIが解決しなければならない問題として有名だが、これが本当に問題なのかということについては、議論が分かれている。「痛い」という言葉はわかっても、AIには現実の「痛い」を理解していないのではないかということだ。
この日に議論したのは、人間が記号を扱うときにも、実は接地していないのではないか、という話だった。ビジネススクールのケースディスカッションで、経営者の意思決定を取り上げるが、その意思決定の切実さに本当に「接地」している参加者がどれほどいるだろうか。主観的な思い込みを「接地」というのであれば、それはAIと変わらないのではないか。人間だけが記号接地できるというような単純な話ではないのではないか。その接地にこそ、たとえば現象学や身体論が取り組んできたことであり、もう少し厳密に切り込んだほうがいいのではないか。
また、「記号が接地しているか」という問題だけでなく、なぜ人は現実から記号を生み出し、その生み出した記号がなぜか他人に伝わるのか。そのことのほうが、重要な問題をはらんでいるのではないか、というような話もした。ふわふわしたロールケーキの食感に、ちょっとした弾力があって、それを「ふにふに」と表現するとき、なんとなくわかった感じがする。身体感覚を通じたこのような認識を共有できる、いわゆる間主観性の問題なのだが、これがAIにはできないのだ、と言ったほうが、より正確なのかもしれない。
こうした議論はいずれも、ケースという記号を使って体験的教育を行う名古屋商科大学の教育課題に直結する議論でもあった。ケース内容を本当に実感できているか。そこはかなり怪しい。ChatGPTのほうがもしかしたらわかっているかもしれない。「人間にだけわかっている」なんてことを言えるほど、記号が接地してはいない。ではどうしたらそこで教育効果を高めることができるだろうか。ケースに出てくる登場人物の身体に棲み込む必要がある。同じ身体構造を持つ他人の体験を、同じ身体構造を通じて認知するのだ。
そのとき、実は時間が重要になる。身体が軋む間が必要になる。究極の選択を迫られた経営者の、あの切羽詰まった時間が必要になる。AIにはない、あの生命としての時間を通じて、私たちはようやく他者と接地するのである。
こんなことを書いていると、また岩澤先生から「真面目だな」と言われそうだ。根は真面目くんなのである。いや、真面目なのは私だけでなく、今日も、オンラインでケースメソッドについて教員間での議論が行われた。それぞれに信念があり、最高の教育効果をもたらすための創意工夫を行っている。そうしたファカルティの一員であることを誇りに思う。
それでは聞いて下さい。虎舞竜で『ロード』。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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