バブル前後を巡る世代ギャップ
鹿島茂の番組「鹿島茂のN'importe quoi!」で、先日から吉本隆明の特集が行われている。その中でも興味深かったのが、敗戦を何歳で迎えたかによって、その後の思想形成に大きな影響があったという部分だ。
1945年という終戦の年、吉本は20歳であった。当時、学徒出陣の年齢が20歳であり、多くの学徒が死んで戻って来る状況を目の当たりにしていた若者は、「自分の人生は20歳までである。その後は考えなくてもよい」という強い信念を持っていた。吉本もその例外ではなく、そこでは「なぜ国家のために死ななくてはならないのか」ということが、切実な思想的テーマであった。
一方、45年に20歳以上だった人は、すでに学徒出陣をし、軍隊というところがどれだけひどいところだったのかということを、体験的に、身に刻み込むように学んだ。手のひらをひっくり返すように、反戦のポジションを取るようになり、吉本からすれば、「なんだあれは」ということになった。
一方、45年の段階で15歳くらいだと、まだ学徒出陣のリアリティはなく、あくまで軍国少年・少女として育ってきた世代であり、たとえば石原慎太郎(敗戦時13歳)のように、「もっと日本はやれたはずだ」という思いを持っていた。20歳の人間からすれば、それも甘い。
今日は吉本隆明について受け売りで書くのではなく、そのアイデアをそのまま、バブル崩壊前後に適用したらどうだろうかという話をしたい。1975年生まれの私は、1991年ごろのバブル崩壊を16歳で迎えたいわゆる団塊ジュニア世代だ。この世代は、バブル経済を体験せず、その後就職氷河期へと突入していくことになる。就職は、山一證券が破綻した1997年の翌年、1998年だった。
1991年の段階ですでに就職し、バブル経済を経験していた1968年生まれ以前の人たちとは、かなり感覚が違う。人によって違いがあるのでなんとも言えないが、楽天的な感じ、世界がよりよくなっていく、進歩するというような前向きな態度があるように思う。
小泉進次郎の評価が下がっているのは、雇用規制の問題と夫婦別姓問題があると言われている。団塊ジュニア世代がかなりのボリューム層になっている現状、今回の失速のひとつに、団塊ジュニア世代の離反があるように思える。上の世代は、雇用規制も夫婦別姓も賛成する一方で、団塊ジュニアはそこに、一定のブレーキを踏んでいる。そんな構図を思い浮かべたりもする。一方で、団塊ジュニアも単純に年令を重ねたことで、ただ保守化しているだけかもしれない。
いずれにしても、多感な時期にどのような社会情勢に置かれていたのかということは、その後の思想形成に大きな影響があることは、想像に難くない。単純な世代論には違和感があるが、まったく世代的なものを考えないというのも、それはそれで偏った思考だろう。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授