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これが、かぞく / 01

生理前、ホルモンバランスの乱れで小さなことがこの世の終わりくらい絶望的に感じる。
私は世界一ダメな人間で存在する価値なんかないんだ!と暗い部屋のベッドの中で1人シクシク泣くのが趣味のように、2週間弱、私の中でつらい期間。
そんな流れで読んでほしい。きっと生理が終わったあとの私がみたら、笑っちゃうくらい暗いのかもしれないけど、この気持ちを乗り越えなければ、何も手につかないのでこのnoteを書く。

私は物心がついた頃から、父と一緒に住んでいない。
母からは、「たんしんふにん だよ」と聞かされていた。
でも少し賢くなって知ることになる。単身赴任は定職についている人が転勤すること。私の父はスーパーアルバイターだ。
いつも好きなところに住んでいた。いつも海の近くで宮崎、愛知、静岡。サーフィンが好きで、肌が真っ黒に焼けている、かっこよくて自慢の父だ。

毎年クリスマス会や、家族の誕生日会も欠かさず行い、父は遠いところからかけつけて、会えたときは嬉しくて、帰るときは悲しくて、でも寂しいなんて言えなくて、欲しいものなんておねだりできなくて、でもいつも私たちを愛してくれるとわかる父と母の笑顔が大好きで、これを壊してはいけないと幼いながら、常に思っていた。

姉に抱かれた白いもふもふがわたしです(ウソ)

今でも忘れられない思い出がある。
父を駅まで送る際に、運転席には母が、隣には兄が、私は駅が見える後ろの窓際に座っていた。窓の外から「またね」と声をかける父の遠い声と分厚い手、私たちが見えなくなるまで手を振る姿。泣くのを我慢しながら、しっかりと父を見ることのできない、小学生の私。
これを我慢してでも、「家族」を保つことのほうが重要だったんだよね。

父の日記を家で見つけたときは悲しかった。冗談で書いてるんだよね?と思いながら読む手を止められなかった。母と一緒に暮らせない理由が書かれていた。それでも母と父は私の目の前ではいつも仲良しなのだ。そんな父から母への言葉はつらいもので、私はあの字を一生忘れることはないだろう。
(というかなぜ私たちの家に置いてったんだあの日記、と今でも思う)

どんどんわかっていった両親の関係。あとからあった姉からの証言、2人で泣いたあの日。落ち着いた様子の兄。
その日のことも、あの涙も、感情も、忘れる日はない。子どもとは無力なものだ。

専門学生のある日の夜、家族ラインに父からのライン。「隠していたわけではないけど実は15年前に離婚していました。知っていると思うけどね。」
母の方から、この関係は終わりにしようと言われたとのこと。突然の「家族」が終わった報告だった。いつも通り帰ってきて、晩ご飯を母と食べて、さて、とひと段落したところだった。知っていたし覚悟もしていたのに、改めて言われると想定していた反応は1つもできなくて、一人部屋にこもって泣いていた。15年間、我慢していた涙はとまることなく、母が慰めに部屋に入ってきたときでさえ、聞く耳を持たずに泣いていた。その頃には姉は家を出て就職しており、兄はしばらく家を開けていて、家には私と母だけ。地獄の時間だった。

私が就職した頃には、関係を修復して一緒に住んでいた。あの涙はなんだったの、と拍子抜けしてしまうストーリーだが、当時の私は毎日るんるんで帰宅するほど嬉しいことだった。
そんな可愛い私にも彼氏ができ、同棲を考えるようになった頃には結婚も視野に入れていて、ふと考えた。「この人は父みたいにならないかな」、と。
母の存在は私の中で大きく、常に母の顔色をみていた。悪いことではなく、大好きな母にいつも笑顔でいてほしいと思うのは子供にとって当たり前のことだと思う。
だから、そんな母が時折見せる腹が立っている顔や悲しい顔を思い出す。
私だってもう大人だ、当時どんな気持ちだったかなんて簡単に想像がつく。
私は絶対に父のような人とは結婚したくない。
私のような思いを子供にはさせたくない。被害者ぶっているわけではない、でも自然な思考回路だと思う。どれだけ「ふつうの家庭」に憧れたか。どれだけ「毎日帰ってくる父」が羨ましかったか。
そんな私が結婚したいと思った人は父とは正反対な彼だった。

そんな私が結婚したいと思った人(笑)

同棲の挨拶にきたのは、家を探した後だった。もう来週引っ越しだけれど、一応挨拶きといて、と私からお願いした。彼はスーツを着て登場し、部屋着で迎えた私と、ついでに母も大慌て。後から聞いた話だが、母はスーツを着てきたものだから結婚の挨拶だと思ったそう。笑
引越しの準備をすればするほど、大きくなる不安。それはやっぱり両親のことだった。私がいなくなって、ふたりは暴走しないかな、だって誰も止める人がいないじゃない。姉は家にはいない。兄は傍観者だ。

送り出されるように同棲が始まった。新しい環境でストレスもあったが、実家にいる時よりずいぶん楽だった。二人がぎくしゃくしたとき、知らぬ間に大きなパワーを使っていたのだなと、引っ越した後の狭い2LDKで、のんびり時間を過ごした。
私が結婚する日と同じ日に、両親も再度籍を入れる運びになった。同じ日て!と思ったけれど、それよりも「これからもずっと一緒にいる約束」をしてくれたことが嬉しくて、おめでたい気持ちが2倍になった、2022年2月22日。

そこからしばらくして、姉からの連絡があった。
この話は次回。


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