片山佑月の Why Be Moral 対話篇
1.「なぜ私たちは道徳的であるべきか」と「なぜ私までも道徳的であるべきか」
登場人物…片山佑月、雨宮裕、相田春樹
愛知県立倫加高等学校三年二組の教室、九月某日の昼休みにて
裕「佑月、またトラブルを起こしたんだってね」
佑月「トラブル? 何のこと?」
裕「ほら、昨日の放課後職員室に呼び出されてたじゃないか」
佑月「ああ。昨日さ、隣のクラスの女の子が嘘ついて別の子に掃除押しつけようとしてたんだよ。それを注意したら、口論になって」
裕「そのおでこの傷を忘れたの? 些細な口論が怪我に繋がることもある。もうちょっと後先考えて、自分の身を大事にした方がいい」
佑月「それってルールを守ることに関係ある?」
裕「一般的にはね。むしろ関係ないことの方が少ない」
春樹「裕、なんか面白い話してんじゃん。俺も混ぜてよ。片山さん、いい?」
佑月「うん、もちろん」
裕「別に面白くも何もないよ」
春樹「そうか? 俺は結構気になるけどな、片山さんの考え。そこまで潔癖にルールとか道徳守ってる人、そういないぜ」
佑月「そうかな。でも当たり前だよ」
春樹「当たり前かもな。でも現に守ってない人が大勢いる。俺もそうだし、きっと裕もそうだ。ならやっぱり何かしら理由はあるんじゃないか?」
裕「僕を巻き込むなよ」
佑月「じゃあその理由って何?」
春樹「まあまあ。つまりな、俺が思うに、それは俺たちの社会を維持するために必要なんだ。みんながルールや道徳を守ってないと大変だろ? 約束のひとつもできないし、いつ殺されるかわかったもんじゃない。だから道徳は守るべきなんだ。どうだ、単純明快だろ?」
佑月「でもそれじゃ、みんなが道徳を守るべきってだけでしょ。この私が道徳を守る理由にはならないよ。私ひとりがルールを破っても、社会はちゃんと成り立つと思う」
春樹「う、確かに。あ、じゃあさ、その理由は進化の過程で獲得したんだよ。道徳を守らない集団より守る集団の方が生き残りやすかった。だからその性質が俺たちに遺伝したんだ」
裕「……それは僕たちが道徳的である理由だ。あるべき理由じゃない」
春樹「ええ~。じゃあわかんねえよ」
裕「もういいだろ。弁当食べよう。こういう話しながらご飯を食べると不味くなる」
佑月「それって関係ある?」
2.自己利益と道徳的であるべき理由
登場人物…片山佑月、雨宮裕、柊ひまり
同校正門前、同日の放課後にて
佑月「お昼の相田くんとの話、楽しかったね」
裕「君は本当に独特の感性を持っている」
佑月「それであの後考えてみたんだよ。結局さ、私が道徳的であるべき理由って……」
ひまり「おい、片山。ちょっと待てよ」
佑月「ああ、昨日ぶりだね」
裕「知り合い?」
佑月「昼休みに言ったでしょ。掃除押しつけて私と口論した人」
裕「君はよく、そんな相手とフランクに挨拶できるね」
ひまり「昨日、お前のせいで、生活指導にみっちりしぼられたじゃねえか。なんで無関係のお前が口出してきたんだよ」
佑月「なんでって、それが道徳だからだよ」
ひまり「答えになってない」
佑月「なってるよ。ちょうど私もそのこと考えてたんだ。やっぱりさ、道徳的であるべき理由って、それが道徳だからにすぎないと思うんだよね。端的に道徳が命令するのなら、私にはそれに従う理由がある。道徳というのはそういうものだから」
裕「それは論点先取だろ。道徳の世界に入り込むべき理由自体を訊いているんだから。それに、端的な命令で道徳的なものでないものだってたくさんある。僕たちは箸をご飯に突き立てるべきじゃないけど、それは必ず理由を与えるわけじゃない」
佑月「……うん。確かに、裕の言うとおりだね」
ひまり「なんだ。お前、片山の味方じゃないんだな」
裕「味方ってなんだよ。僕はそういうのじゃない」
ひまり「まあいいさ。そこの偽善者に教えてやるよ。あんたみたいなやつが道徳的であるべきだっていう理由も、結局は自分の利益なんだ。道徳的っていう性格を持っていた方が、うまく立ち回れるっていうことだよ。約束を守らない性格のふたりが疑い合うより、守る性格のふたりがちゃんと約束を履行した方がお互いお得だろ? だから私たちは結局同じなんだ。友達と遊ぶために嘘をついた私と、最終的に得をするために私の嘘を糾弾したあんたは」
佑月「それは違うと思う。道徳ってもっと純粋な感じがするもの。利益に基づいている時点で、それは道徳とは違う何かだよ」
裕「それに、仮に道徳が利益で基礎づけられたとしても、問題が『なぜ自己利益的であるべきか』に変わるだけだ。いい論証とは言えない」
ひまり「ちっ、本当に面倒くさいな。もういいよ。これ以上私に関わるなよ」
佑月「……行っちゃった」
裕「彼女の言うことも、全部が間違いってわけではないと思うけどね」
佑月「ちなみに、裕。このあと時間ある?」
裕「ないわけじゃない。このまま帰って家でのんびりしたいというのが本音だけど」
佑月「ちょっと付き合ってよ。こういう議論が上手そうな友達がいるんだ。四条怜奈。まだ学校にいると思う」
裕「四条さんか。一年生のころ君と仲良かったね。まだ付き合い続いてたんだ」
佑月「いや、もう二年くらい話してない」
裕「それって友達と言えるの……?」
3.実践理性と道徳的であるべき理由
登場人物…片山佑月、雨宮裕、四条怜奈
同校美術室、同日の部活活動時間にて
佑月「怜奈、会いに来たよ」
怜奈「佑月、私たち絶交したはずだけど」
佑月「うん。でも会いたかったから」
怜奈「あんた絶交の意味分かってる? 本当、変わらない」
裕「四条さんごめんね。部活中に突然」
怜奈「いいけど。雨宮くんもまだ佑月のお世話係なんてやってるんだ」
佑月「ねえ、怜奈。なぜ道徳的であるべきだと思う?」
怜奈「は?」
裕「なんか最近気になってるらしくて」
怜奈「ふうん。でもそんなこと、佑月、あんたが一番よくわかってたと思うけど」
佑月「どういうこと?」
怜奈「あんたはずっと、まるでそうすることが当たり前みたいに、道徳やルールを潔癖に守っていた。きっとあんたにとって、それが人生の意味なんでしょう。そのために生き、そのために死ぬような人生の意味。だから道徳を守らなければ、あんたがあんたじゃなくなるような気がしていたんでしょう。人間として終わってしまうと思っていたんでしょう。そしてそれが、当たり前にすべての人に当てはまると考えていたんでしょう。あえて言うなら、道徳的であるべき理由はそれが人生の意味だから。そんなあんたを見ていると、本当に苛々する。まるで、お前の人生には意味がないんだって言われているみたいで。あんたのように道徳的になれない私は、とても劣った人間であるように思えて」
佑月「道徳的であることが、人生の意味になるの?」
怜奈「なるんじゃない。欲望に突き動かされる動物みたいな人生よりは、理性に従って道徳的に生きる人生の方が、意味ありそうだけど」
佑月「なら、理性的であることが、合理的であることが大事なのかな」
怜奈「そうかもね。あんたの考えじゃ、合理的ってことがそのまま道徳的ってことなんだろうけど」
佑月「確かに、今までだったらそう考えてたのかもしれない。でも今日、色々な人の意見を聞いて気づいたんだよ。理性の実践的な能力が命令することは一つじゃない。その実践的な能力は、道徳的であることだけじゃなくて、自己利益的であることや、人生の意味を果たそうとすることも命令するんだと思う。だって道徳を守って嘘をつかないことも合理的だし、将来の自己利益を考えて煙草を吸わないことも同じように合理的でしょう? だから、自己利益とか人生の意味で道徳を基礎づけるんじゃなくて、実践的な合理性のひとつとして、道徳を考えるべきなんだと思う」
裕「でもそれってさっきの話と同じじゃないの? つまりそれは、『なぜ道徳的であるべきか』という問題が『なぜ実践的に合理的であるべきか』に変わっただけで」
佑月「ううん。それも解決できるんだと思う。実践的な理性が私たちにどうするべきかを命令する能力だとするなら、実践的な理性に従うことそれ自体も命令できるはずだよ。それなら無限後退にはならないと思う」
怜奈「まあ、あんたが納得するならそれでいいんじゃない。だからといって私はあなたほど道徳的であろうとは思わないけど。実践的な理性が自己利益の追求も命令するなら、私はその命令の方をより大事にする」
佑月「うん、ありがとう怜奈。また話そうね」
怜奈「絶対嫌。絶交って言ったでしょ。……あ、雨宮くんはまだ行かないで」
……………
怜奈「相変わらず騒がしい子だったわね」
裕「うん、僕も今日は一日中振り回されて大変だったよ。それで、どうしたの?」
怜奈「ねえ、佑月だけ自分の疑問を解消させて、私にはそうさせないのはフェアじゃないと思わない?」
裕「全くその通りだね。それをぜひ佑月に言ってやって」
怜奈「嫌。私たち絶交したんだから。その代わり君で憂さ晴らしするよ」
裕「できれば止めてほしいな」
怜奈「ねえ、どうして君はまだあの子と一緒にいるの?」
裕「……たぶん、君と同じだよ。僕は彼女の潔癖なほど道徳的な性質が得がたいものだと思っている。失われてほしくない。でも、彼女はその性質のおかげで様々なトラブルを抱え込んできた。一週間前に大学生と喧嘩しておでこに怪我をしたし、昨日も他の女子と口論になったらしい。彼女の幸せのためには、その性質を否定しなくちゃならない。だから四条さん、君は佑月から離れたんでしょう? 彼女のことを大切にするあまり、君自身が彼女の貴重な性質を奪ってしまうのが怖くて。僕も同じ気持ちだよ。でも僕は彼女と一緒にいる。彼女の美しい性質を側で見ていたいから。僕の否定すらもはねのけてしまう彼女が見たいから」
怜奈「一緒にしないでよ。気持ち悪い」
裕「ごめんね。でも、道徳的であろうと思ってその理由を求める彼女は、僕や君が思っているよりずっと強いと思うよ」
終