ライフ イズ ポリティカル
母親の胎内から産み落とされた
そのときから始まっているのか
それとも父親が母親の胎内に
命を誕生させたときから始まっているのか
人は生きていれば政治的になる
人は生を受けて政治的になる
僕のことを少し語ろう
僕は幼いときに自閉症であることを見過ごされた
違和感を抱えながら大人になって診断が下りた
そしてこれが生きづらさなのだと知った
僕には姉がいる
姉がいることでとかく僕は比較されてきた
家族は僕に姉と同じような道を辿らせたがっていて
やりたいことも否定されて好きなことさえできなかった
いじめがあっても黙っていた
言っても関わりたくないと言われてしまったから
「こうして人を信じられなくなるのか」
そして悲しい反動が僕の中に侵食していった
何をやってもダメだった
こうして今も生きているけれど
大きな失敗が周期でめぐり繰り返してしまう
そして言われる「ほら言わんこっちゃない」
人はそうやって傷ついていく
人はそうやって覚えても繰り返す
今も思うよ
もしもあのとき気がついてくれたらって
今のような生活が望めないとしても
苦しまなくて済んだのかなって
そして誰かと同じようでなければ
誰かと同じような「ふつう」でなければ
僕は生きる価値など無かったのだろうか
誰かの言う「ふつう」が僕を散々苦しめているのに
どんな運命になるかも分からない
今はすべてにおいて「ガチャ」だと言われる時代に
確かに言えることがあるとするなら
人は生きているだけで政治的だ
教えて
この世の正しさって
いったい誰が教えてくれるの?
親か教師か上司か友人か
はたまたメディアの向こうの著名人か
悪いことや自分に都合の良いものにしか感化されないくせに
子どもの頃に言われたことは
すべてが正しいことのように聞こえて
社会に出て触れるもののすべてが
目の前に現れて見えるもののすべてが
汚れなく見えていた
らしい
だけど大人になっていくたび
行き交う人間のおどろおどろしい姿を見ては
きれいなことばかりでは生きられないことを知る
ズルさとセコさに塗れた空気に
汚されないようにがんばってみても
あのとき知らぬ間に擦った傷からじわりとよごれていった
あの頃にした選択はどこかズレていて
掛け違えたボタンみたいにうまくいかなくて
あのときにことごとく否定された僕というものが
もう少しズレていたら
まじめに聞かないでいたら
今とは違うものになっていたのだろうか
今もそうだよ
ずっと変わらずに
うまくいっている誰かのことを羨ましく見ている
僕なんて何かしようとすれば
否定の言葉を投げかけられてそこから足が竦んでいった
ただでさえ軌道に乗ったかなんて分からないままいるのに
存在を消してしまいたいと思う夜も多い
人を信じるたびに
人を信じられなくなって
あの頃言われた誰かの言うことが
正しかったのか考えるけれど
それを判断するのは
紛れもない僕である
生きている間に
いろんなことを知りすぎて
汚れたまま傷ついていった
僕をひとつも信じられずに
あれだけ幾度も泣いたのに
泣いたことさえ忘れてしまった
こうでなければいけないと
僕のアイデンティティを否定され
違和感があっても言えなかった
そして何度も壁にぶつかった
痛みも傷もこんなにあるのに
どうして分かってもらえないのだろう
今はあの頃と違う場所で生きている
肯定と否定を繰り返し
立ち向かったり逃げたりして
自責も他責も複雑に絡み合って
それでも生きてきた僕のことを
褒めることさえ許されないのか?
そしていつまで悩めばいい?
救われるべき人たちが救われなくて
逃げても訴えても追い詰められていくことを
悪いことをした人間が罰せられないまま
のうのうと逃げるのが許されることを
おかしいと言えない
あたりまえの権利を享受できない
世の中のほうがおかしいのに
それらはもうすでに僕にも訪れているのに
ね
だって生きることは政治的なんだろう?
だったら死ぬそのときまで闘ってやるよ