自由なようで自由じゃない

8/25にポエトリースラムジャパンさいたま大会に参加してきました。
今回1回戦で読んだこの詩は「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展・その後」の中止を受けて、表現の自由っていったいなんだろうなと思ってしばらく考えながら書いたものです。
ちなみにタイトルは今つけました…

僕の表現は 自由に見えるだろうか
好き勝手にできているんだから 自由なんじゃないの?
だけどこれが予め指定されているものだとしたら
自由なんて、奪われている

そう この国で行われるべき表現は
万人受けするものでなければいけない
誰かの理に適ったものでなければいけない
媚びと忖度と修正で甘く甘くハードコーティングされている

表現は不自由だ
表現は本当に不自由だ
自由にできているように見えるだけで
四方八方から見えない矢が無数に飛んでくる

人は考えることを忘れ 歴史修正を謳い
そのクチでデマカセを語り SNSで嘘を吐き称賛される
隣の国を悪く言うことで優越感に浸れる単純さを
ひたすらに繰り返して 今があるという皮肉

目を逸らしたくなることほど
その目で見なくてはならない
耳を塞ぎたくなる話ほど
その耳で聴かなければならない

何もなかったことにしたくても
あったことをなかったことにはできない
何もなかったことにしたいのは
都合良く「おりこうさん」で居たいだけだろう

こんな今を憂うと
この国から出て行けと言われる
だけどおかしいことにおかしいと言うことを止めない
それだけは 止めない

だから僕は自分にも責任があると思っている
こんなことが繰り返された結果が今だから
うすら寒く背中がゾクゾクするけれど
僕には僕のできることをする

僕にしかできないやり方で
君にしかできないやり方で
表現を自由に
もっと 表現を自由に

表現を自由に
もっと 表現を自由に
表現は自由だ
表現は 自由だ

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