僕はただ淡々とした自分の普遍を生きるだけだ

自分の属性を とある誰かに
「生産性がない」と言われた
「それは趣味みたいなもの」だとも
頭の中は虚しさで白くなり
ふっと 怒りのスイッチが入った

あれから自分は
2回デモに行き 1回街宣に行った
外野はとかくうるさかった
コールの内容 プラカードの文言やデザイン
人数がどうだとか 旗の向きがどうだとか

そして
「私は幸せだから」と動画を上げて無きものにしようとする
君にも言われていることなのに
「差別は無い」と言えてしまうことが怖い

「怒り」が自分を動かしていく
宥める人も諫める人もいるけれど
こうして声を上げなければ
見えることがなかった「怒り」を知って
前に 進もうと思った

ある人は言った
「困らない、悩ませないための道を造ってあげないと」と
「路頭に迷い、行き場の無い人が居なくなるように」
自分は道を造れているだろうか
十二分に生きてきたうえで身につけてきた道を

淡々とした自分の普遍は
当然
何も無かったわけではなく
そうして生きてきたことで得た
喜怒哀楽を教えてくれた人とともにある

だから
自分はその人たちとともに
道を造ってあげなければいけない
ときに忙殺され 虚しさが覆ってきても
続く人には 困ってほしくないと願う

「生産性」でしかくくれない誰かを
誤解を誤解したままで歪曲し続ける誰かを否定し
己のアイデンティティで進もう
生きることは「趣味」なんかじゃない

「僕はここにいるよ」

Because I'm Gay,
FUCK YOU VERY MUCH.


はい、今回参加したポエトリースラムジャパン2018東京大会Bで急造ながら書いた詩でございます。
会場には「FIGHT STIGMA」と書かれた昨年のリーバイスのプライドコレクションのTシャツを着て、この詩を読みました。

わたしのツイートにも書いているのですが、
https://twitter.com/bluezlee_/status/1031163439639486465
参加されたみなさまが独創的な詩やヒップホップライムに溢れた言葉で伝える中で、いいのかなと思いつつ、今回は時事ネタをプロテストとしてぶち込みました。

自分自身がゲイであり、先日の杉田水脈や谷川とむという公人である国会議員からヘイトや偏見、差別に塗れた言葉や文献を見知り(杉田水脈のに関しては実際掲載された「新潮45」を買い目を通したけれど目眩がしましたよええ)、どうしてもやらなければと思ったんです。

だけど点は付けられてしまう、全体ではブービーだったけれど、

「大事なのは点数じゃない、大事なのは詩だ」”The Point is not Points, the Point is Poetry”
…これは海外のポエトリースラムでよく言われる決まり文句。ポエトリースラムジャパン もこの考え方を大事にしています。

この理念に沿い、なによりここでは自分にある「怒り」を表明する必要があったわけです。

今の世の中は怒りを表明してデモに参加しようものなら外野から糞味噌に言われることはしょっちゅうであり、この目で見てきたことでさえねじ曲げられてしまうことも多いです。ここ1ヶ月ほどは背中を蹴りたい人間が多かったのは言うまでも無く。もちろんそれは自分のツイのフォロワーさんに対しても一部あります。

おかしいこと、理不尽なこと、許せないことに対して声を上げようものならそれらの声を潰そうとしたり、半径5mと自分のSNSのTLくらいでしか物事を判断できない人たちが「自分たちは幸せだからそんな差別を感じたことは無い」と差別を無にしようとしたりすることが多いのが現状です。SNSでは自分を外側に出せても、今そこにある、自分たちにも向けられているであろう差別の矛先には気づけていないのかってある意味お花畑ですよね。どうして自分で考えることができないのだろう。現状から目を逸らしたがるのだろう。

だから、自分は少しずつでもプロテストな詩を書けるように、世の中のニュースや動き、SNSだけではない時間の流れを見ることを止めずにいることと、積ん読から本をちゃんと手にして読む時間を作らないといけないなと思います。

来月、9/15-16と行われる「ウエノポエトリカンジャム6」https://www.upj5.net/ に参加し、自分はオープンマイクで9/15に参加します。38番目ですけどね(遅い番号もプレッシャーですよ)。そこでもプロテストの詩で参加したいと思っています。「ヘイトスピーチ」がテーマになるかと。練り直し必須。準備します。

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