息子に住む場所を選ばせる我が家の2年半の軌跡
どうも、エイミーです。人のリリースやブログは書いているのに(それに遅れがちだが)、自分や自社の発信はおろそかなPR会社あるあるを乗り越えて、久々に記事を書いています。
この記事は、ひとつの節目として書いています。
タイトル通り、「息子に住む場所を選ばせる我が家の2年半の軌跡」をまとめました。なぜならひとつの結論を出したからです。
端的にいうと「エイミー、2拠点生活開始するってよ(多分)」です。
◾️旅しながら子育てしたい
私は元々無類の旅好きで、独身時代に国内47都道府県、海外27の国と地域を巡ってきました。コロナ前は、3連休があるとLCCのチケットをサクッと買って、行ったことのない国に行くのが趣味でした。
そんなわけで、子どもが生まれる以前から「万が一子どもを授かることがあったら旅をしながら育てたい」と妄想していました。
たまたまパートナーも旅好きで、かつ、私より教育に対して想いがある人間です。
そんな我らの間に、奇跡のようにかわいい息子が爆誕しました。コロナ真っ盛りの2020年初夏のことでした。
自営業で仕事人間の私が本当に子育てできるのか不安だったという話をよく聞きますが、生後2ヶ月から仕事現場に同行するようになり、生後5ヶ月から保育園のお世話になり、生後8ヶ月で泊まりの出張に連れて行かれるようになり、仕事と暮らしの境目のない親のもとで、ちょっとしたことでは動じない、度量のある子に育っています。
そんな我々は、2022年の初春にたまたま知り合いから「保育園留学」なるものが始まって、絶対にエイミーさんに合っているから行ってみて!と言われて、なんだこりゃ!?となります。
保育園留学は、簡単にいうと家族で地方に1〜4週間ほど移住して、子どもは地域の保育園で普段とは異なる環境を体験し、親はワーケーションに勤しみ、夜や休日は観光や地域の暮らしを楽しむというものです。
絶賛コロナ禍だった頃から、我々はちょこちょこワーケーションをしていました。が、子育て世代のワーケーションは、結局「片方が子守りで片方が仕事」となりがちで、我が家のように24時間仕事にフルスイングしたい家族からすると、「おまえも仕事したいのにすまん、、、」となりがちでした。
なので、ワークもバケーションも思う存分楽しめる保育園留学に我が家はどハマりし、各地の保育園留学に申し込むだけでなく、保育園留学をやっていない自治体さんを自主開拓して同じような短期滞在を実現するまでになりました。
◾️異なる体験が豊かさを生む
そんなこんなでいろんな地域のいろんな保育園を見ていると、当たり前ですが教育方針も地域の風土も本当に様々で、そこから息子が受ける影響も様々だと気づきました。
ワーケーション目的だった私の旅が、だんだん教育目的にシフトしていきました。
ちなみに私は今でこそ保育園留学にハマったり、日本で唯一のアントレプレナーシップ学部の運営にコミットしていたりしますが、元々は教育に何の関心もないどころかむしろネガティブな印象を持っている人間でした。すごく画一的で、ステレオタイプで、あまちゃんなものと捉えていました。
が、やはり息子の変化を間近で見ていると、教育、特に幼児教育が子どもに与える影響を痛感しました。
個々の園や地域から受ける影響はもちろんですが、様々な環境を体験することによる影響も大きいです。
例えば、保育園留学初期の頃(2歳くらい)に感じたことだと、全く見知らぬ人の輪に飛び込んで色々聞かれたり話したりする必要があるせいか、息子の説明能力が飛躍的に上がった気がしました。
あと、彼は物怖じしません。いろんな環境を経験してきたからなのか、どんな環境下であってもマイペースに自分の意思を語り、自分のやりたいことに熱中できます。
そして、別れや変化を怖がりません。どの園に行っても、最後の日は笑顔でバイバイ言って帰ってきます。悲しくないのか聞くと、「悲しくないよ。だってまた会いに来ればいいんだから」と言います。
暑い地域、寒い地域、海と暮らす地域、山と暮らす地域、そして東京の中心地。それぞれの良さを彼なりに理解し、それぞれを好きだと言います。
これはものすごく豊かなことだと思います。
私が子どもに伝えたいことの一つに「日本全国私のふるさと」という感覚があります。これは、私が東日本大震災の復興支援プロボノをやっていた時に、全国の大学生たちとプロジェクトをやっていた経験が大きいです。ただでさえ旅行が好きな私に、全国47都道府県に仲間が出来たのです。そして「東北復興」という志を掲げて同じ思いで突き進んでいく。この時から私は、仲間が住む47都道府県がすべてふるさとのように感じるようになりました。自分にとって特別な思いを寄せる地域が日本中にある。これはものすごく豊かなことだと思っていて、子どもにもこの感覚を持ってもらいたいし、私の子どもも、この感覚をさらに拡張させて、世界中進出していき、「地球まるごと私のふるさと」という感覚を身につけたい。そしたらさらに心は豊かになるし、大きな志抱いて、強く生きていけると思うのです。
◾️ 息子にあった環境を探して2年半
そんなわけで1年の1/4を東京の自宅以外で暮らす生活を2年ほど送ってきました。最初に東京と違う場所で暮らしてから2年半が経ちます。
その中で、今後もいろんな地域を巡るにしても、息子の拠点は東京でいいのだろうか?と思うようになりました。
実は私自身は東京至上主義というか、東京が好きで、経済の中心に行きたくて這い上がってきた人間なので、東京を拠点とすることにあまり疑いはありませんでした。
が、明確なきっかけは、「東京では子どもが追い立てられている」というパートナーの指摘でした。
言われるまで全く気にしていなかったのですが、確かに大人数を抱えて忙しなく物事が動く東京では、子どもも1日のスケジュールに追われ、個性だ気分だの前に、集団としてスケジュールやルールの通りに動くことを求められているように感じるようになりました。いや、保育園とか幼稚園とかそんなもんだろ、預かってもらっているだけ感謝だろ、としばらく思っていたのですが、確かに地方に行くともっとおおらかであたたかい空間が流れています。何より子どもがのびのびしています。
他にも気づいたことがありました。
地方に行っている間は、息子は帰宅するとコテっと寝るのです。うっかりすると食事も取らずに寝ます。東京では全然寝ません。むしろ寝かしつけていたこっちが先に寝落ちして、深夜もプログラミングしているパートナーのところに夜食をねだりに行きます(笑) しかも、地方にいる時は爪があまり伸びないのに、東京ではめちゃくちゃ伸びます。1日の活動量が明らかに違います。これを日々積み重ねると、結構な違いになるなと感じました。
そして、私の中の衝撃のひとつとなったことが「草摘んでいいか事件」です。何かというと、ある地域で道端に生えている雑草に興味を持った息子は、「これは取ってもいいの?」と聞いてきたんです。誰がどう見ても所有者のいない雑草です(しかもあたり一面ボウボウ)。農村育ちの私からすると、野山は子どもが自由に駆け回る天国です。が、確かに息子が育った都心はそもそも雑草が稀です。そしていろんなことが管理されています。
このやりとりは、「ああ、都心は子どもにはちょっと窮屈かもな」と思ったきっかけの一つになりました。
当初から息子には「お父さんもお母さんもワーケーションできるから、暮らしたい土地があったら言ってくれれば引っ越すからね」と言っていたのですが、むしろ少なくとも幼児期は地方に行かせた方がいいのではないか?という思いが次第に強くなりました。
ただ、息子は当初「東京が好き〜。おもちゃもボールプールもある〜。ゆりかもめと山手線もある〜。レゴランドもある〜。東京に住んで、色んな保育園に通う〜」という感じでした。
◾️北海道室蘭市との出会い
そんなこんなで色んな思いが巡り始めている頃、北海道室蘭市と出会いました。ここは「保育園留学」をやっているわけではなく、パートナーの知人が役場にお勤めで、ワーケーション誘致の担当をされていたので「ついでに保育園に探してもらえませんか?」と色々わがままを言って、その方の息子さんたちが通っている幼稚園をご紹介いただき、先生もウェルカムということで滞在が決まりました。
2023年6月に初めて訪問し、都市と地方の魅力、海と山の魅力を兼ね備えた美しい港町に魅了されました。
また、私たちを受け入れてくれた桜ヶ丘幼稚園の杉山園長先生他園の先生たちのあたたかさ、教育者としての想いの強さに魅了されました。
そして息子にも親友が出来て、彼は初めて「室蘭に住みたい」と、東京以外の地域に住むことを考え始めました。ただ、この時は結局東京に戻ったら「やっぱり東京〜」と言うようになりました。
ただ、室蘭との交流は続きました。
向こうで家族ぐるみで仲良くなった一家が東京にいらっしゃる際は一緒に遊んだり、LINEで子どもたちが互いのボイスメッセージを送り合ったりするようになりました。
そして2024年も6月から7月にかけて室蘭に滞在し、いよいよ息子は「室蘭に住みたい」と言うようになりました。
◾️子どもの気持ちを探る時間
「室蘭に住みたい」という意思決定は、なんだかんだで東京がいいと言っていた息子にとっては一大決心だったと思います。
実はこの頃、母親として移住に積極的になるちょっとした出来事があった。東京の保育園で面談があって、息子が少し問題になっている旨を言われた。これまで通ったどこの幼稚園・保育園でもそんなことは言われたことがなかったので、まさに青天の霹靂。かなり動揺した。
ただ、冷静に聞いてみると「自分の作業や考え事に集中していて、人の話を聞いてない。ぼーっとしている時がある。集団行動でもマイペースな時がある」という趣旨で、クラスのペースを乱すというような趣旨だった。
その時は「うちの子がすみません!!」思ったけど、「ん?それってそんなに悪いことだっけ?」と思い直して、いやそれ、仕方ないんだけど管理する側の目線んだよな、、と思い始めた。信頼する室蘭の先生にも相談したが、「そんなこと感じたことない」とおっしゃる。
念の為に補足すると、私は東京の保育園に本当に感謝しているし、東京の慌ただしさの中で、狭いスペースでたくさんの子どもたちを見るのは本当に大変だと思っている。ただ、我が家の教育方針や息子の性格的に、ちょっとここではないのかな、と確信めいたものを持つようになった。
なので息子が「室蘭に住みたい」と言い出した時は「来たー!」と思ったけど、とはいえ人間は目先の欲求に流されがちです。移住用の物件を見に行ったりもしましたが、東京に帰ったら「やっぱり東京」と言うかもしれないので、一度クールダウンの目的で、東京に戻りました。
それでも息子は、2ヶ月くらいは「室蘭にはいつ行くの?何のおもちゃ持ってく!?」とうきうき言っていて、我らも「これは本気だ!」と心の準備とスケジュールの準備を始めた頃、「やっぱり東京にいる。ここから色んな保育園に行けばいい」と息子は言い始めました。ちょっとクールダウンの時間を長く置きすぎました。彼の決意を無駄にしてしまった、悲しい想いをさせてしまったのではないか、と後悔しました。
ただ、我が家の方針として、「息子のことは息子に選ばせる」というのがあります。「今は東京!」と言っているものを無理矢理室蘭に行かせようとはしませんでした。
◾️2024年秋、北海道安平町へ
そもそもなぜ我々が長めのクールダウンを取らざるを得なかったか。それは、今年の9月末〜10月末にかけて北海道安平町に短期滞在することが決まっていて、それまでは居住地をジャッジしにくかった、という事情がありました。
安平町は教育業界で注目の町で、子どもの興味や生きる力を何よりも大切にし、大自然の中で自由に教育するはやきた子ども園や、義務教育学校(小中一貫校)の早来学園、そして大人になっても楽しく学び続けることを政策の根幹に置いた町で、パートナーが早くからリサーチをしていました。ここを見ないことには何も決められない!ということで、2024年9月末、我が家は安平町にやってきました。
安平町は、ずば抜けてすごい町でした。
教育に力を入れる町はいくらでもありますが、本丸に教育を据えて、すべてがそれ目掛けて設計されている町でした。今回私たちは町の教育長さんのお話を聞く機会に恵まれたのですが、中学校の先生から幼児教育の専門家に転身し、はやきた子ども園を他の自治体からわざわざ子どもが通ったり移住したりしてくる園に育てて、さらに教育長として町ぐるみの教育に取り組もうとしている素晴らしい人でした。
はやきた子ども園は、本当に子どもの意思や生きる力を大事にしていて、比較的マイペースな息子でも最初は動揺するくらい色んなことが自由で、都度自分の意思が問われるシチュエーションがあり、環境に慣れてからは本当に楽しそうに生き生きと過ごしていました。
そんな中、滞在2週目くらいのある日、息子がぽつりと言いました。「やっぱり、東京はもういいや」と。胸の中で、おおお!!となりました。
東京はいいとして、じゃあ室蘭なのか、安平なのか、他のどこかなのか、息子と対話しましたが、やっぱり「室蘭」だと言います。そこで、今度こそ息子の想いを尊重しようと思い、安平滞在中に車で1時間半ほどの室蘭に2回ほど通い、元々下調べしていた物件リストを巡り、希望に叶った一軒家の賃貸を見つけました。
◾️今後のこと
さて、じゃあ今後どうするの?ですが、まさに今私は大洗の港にいて、フェリー乗っている家族の帰りを待っています(私だけ諸用あり一足早く飛行機で帰ってきました)。
今後、11月中に諸々手続きや仕事の準備を整えて、12月に家具などを手配し、年明けから2拠点生活を始めます(子どものことなので急な変更があるかもですが)。予定ではパートナーと息子が室蘭に拠点と住民票を移し、私は東京を拠点としつつ、対面の予定がない時は室蘭で過ごす予定です。東京の家も残しますので、家族もちょこちょこ東京にきますし、もちろん他の地域にも行きます。
イメージとしては、今までの「東京を中心に色んな地域に通う」だったのが、「室蘭中心に色んな地域に通う」となるイメージです。我らとしては、室蘭が好きもののそこだけに閉じる気はあまりなくて、ベースとして子どもが一番長く過ごす園を室蘭の幼稚園にした、という感覚です。だって息子も我らも東京が大好きですから。
というわけで、年末年始あたりから我が家の生活はガラッと変わります。
◾️息子中心に決める。で、親の不安は?
最後に。
ここまで当たり前のように息子の教育目線で物事を語ってきましたが、じゃあそれで全て安泰なのでしょうか?当然親には仕事もあるし人間関係もあります。
私のことで言うと、正直、今が勝負の時です。PR会社経営からアントレプレナーシップ学部の運営やアントレプレナーシップの普及啓蒙に自分の仕事の幅を広めようとしています。アントレプレナーシップ文脈の講演依頼や登壇依頼なども増えてきました。仕事目線で言ったら東京にいた方が無難だし、機会損失も少ないでしょう。大学にもMusashino ValleyにもTIBにもチャチャっと行けます。
私は「もったいない」が大嫌いです。なので機会損失なんて許せません。だから、冷静になった時にふと怖くなったりします。これで、ビジネスパーソンとして良かったんだっけ?と。
また、私がバタバタしているので子どものことをパートナーに任せがちになっていますが、彼も一流のエンジニアであり、ものづくりの人です。たくさんの人とつながってほしいし、全国各地のイベントや展示会に行ってほしい。
つまり何が言いたいかというと、子どもがハッピーならall happy!なんて言う気はさらさらありません。親が我慢すればいいとか無理すればいいとかもさらさら思っていません。誰かが無理していたら、やっぱり子どもって察します。
でも、私はやっぱり息子一番過ごしたいと思うところにいさせてあげたい。そしてこれからも色んな世界を見せて、「世界の子ども=地球人」という感覚で過ごしてほしい。国境も言語も人種も超えて、自由な心と自由に生きられる力を備えて歩んでいってほしい。それは私も同様に。
そのためには、多少不安があっても一歩踏み出さなければいけないし、もし踏み出して違っていたら、方向を変えたり戻ったりすればいい。「あの時こうしていたらどうなっていただろう?」といずれ思うくらいなら、やってみて考えたい。
不安よりも挑戦するワクワクの方が優っている。
タイムリーなことに、昨夜スタートアップ界隈の方たちと食事をしていて、みなさんそれぞれ色んな子育てに挑戦している話になりました。
ワンオペで双子の2歳児をアメリカで育てるお母さんと、飛行機で家族に会いに行くお父さん。
平日は東京で働き、金曜の夜に家族にいる北関東に戻るというお母さん。
人それぞれ、人の数だけ子育てがある。
そんな感じで、2拠点生活をスタートします。
我が家の今後を乞うご期待!