零れた文化の跡地を見る
今日は珍しく古典的“半ドン”のため、浮き浮きと適当に帰った。
今日はラーメンを食べてみたい。そのためカロリー消費をすべく職場から二駅歩くコースへ。いつも山門前を通り過ぎる寺が、土曜の真昼とあって今日は開放されている。今の職場に就職してから初めての拝観。一部改修工事だったが閻魔大王と奪衣婆と懸衣翁、6/9仏を拝観する。丸太の長椅子に腰掛け、水筒に残っていたほうじ茶を飲む。木々には新芽と蕾。晴れた3月の土曜だからた人は多いが、COVID-19禍の前もこれほど拝観客はいたのだろうか。
二駅を歩いて目的の駅へ。ラーメンを食べようと意気込んできたが、一人でのラーメン屋の入店履歴が少ないため選択に悩む。結局無難な店で担々麺を食べる。
そして今日の次の目的地はアーケードが長いことで有名な某商店街。そこそのの人出なのは私もその一部なので言えることはないが、衝撃だったのは雑貨屋がことごとく閉店していたこと。ちょっと洒落た文房具やリラックスグッズや、300円500円で買えるようなアクセサリーショップ。そういった日常にプラスアルファするような雑貨を取り扱った店がことごとく消えていたのだ。残っているのは100円均一とドラッグストアと飲食店と安価な衣料品店。COVID-19を期に大量消費から脱却すべきだとは言ったが、実際に目の当たりにするとあまりにも衝撃だった。全体が縮小するのではなく“弱い”ジャンルから塊で消失する。現実の冷酷と自分の浅はかさに衝撃を受けた。
だからといって私に雑貨文化を買い支えるほどの財力はないし、あれこれ見比べ迷うばかりでジャンルを支えるほどの買い物をしてきたかも自信がない。せめてこれからは買い物も最後の一期一会と思って躊躇わず買うことぐらいしかできない。
お気に入りの喫茶店は喫煙室が無くなったこと以外は前と同じく営業していた。ブレンドよりひとつ贅沢なコーヒーをおかわりする。去年の今頃は混沌としていたが来年の今頃はどうなっているだろうか。安易な希望は霧消した。せめて誰の家の水道も止まらない社会であってほしい。
今日の英語:Shopping street