これを身につけたいから。考え方に興味がある
気づきと、本に書かれてること。
前回の社会福祉士が支援する場面、社会福祉士が生きるためのお金も手段も限りなくなくなってる方と道端で出会って支援するという話。その方は、酔っぱらっており、返事はあるものの、なかなか上手くコミュニケーションが取れない。そこで救急車を呼ぶこともできたが、その方の生きる意欲を感じとり、短い時間、その場限りだが関わって、支援していくというあまりないような場面だ。
この前の記事のソーシャルワークの力では、この支援者に対して、私はこの支援者は、この支援しかないと思って、良い意味で諦めることができたから、短時間で支援方法を決めて支援することができたと感じた。
しかし、それは間違えており、その人のソーシャルワーカーとしての倫理、思想に裏打ちされたことでの判断だったとわかった。
誰かを支援していく中で、気づかされ、教えられ、その人を理解していくと支援が深まっていくというかそういう経験はしたことがある。気持ち的にもそういう時は何かするべきことを次から次へと考えてしまう。だからこそ、考えたり振り返ったり、また考えたりと支援できる。
だけど、今回の場合はそれができない。では、その人ななぜ支援できたのかそれは支援を重ねる中で得た感性、その人の家族のこと、様々なことが浮かんだり、支援者自身の正しいことや正しくないこと、職業人としての正しいこと。そのせめぎあいの中で、支援者としての経験が走馬灯のようにに浮かんで葛藤したからではないかと考えた。
だけど、その根底にあるのは、誰かが涙を流したり、涙を止めて歯を食いしばってたり、助けてと訴える目で見られたり、そして笑顔だったり、誰かを総合的に見る目であり心だと感じた。
この本に楽天性が大切だと書かれている。
それは生きていくこと、生きていること、続いていくことと繋がりがあると思っている。
その中の様々な場面で選択をしてなんとか乗り越えてきた。続いていく意味は、自分のことから、家族に移ったり、家族のことから自分に移ったり、いろいろ広がっては揺れていく。
その中で、はっと気づく時に時間の大切さを知る。おそらくこの支援者も時間の大切さを感じることができたから、楽天的になれたのではないだろうか。
それは1時間だけ私の時間をあなたのために使うと話して、それが支援に入る決め手となった。その支援を必要とする方が、一番時間の大切さを知っている。それは支援者自身も同じ。だから、1時間だけと話したのではないか。
ここからは本に書かれてること。
基本的に、ソーシャルワーカーは困難に絶望してはなりません。ソーシャルワーカーが絶望してしまったら、ワーカーの支援を必要としている、本当に絶望している人は何に望みを託せばいいのでしょうか。ソーシャルワーカーの本分は真っ暗闇の中にも光を、絶望の中にも希望を、見いだす作業にあります。
省略 この意味でソーシャルワーカーは楽天的であらねばなりません。光や希望は必ず見つけ出せるという楽天性です。この楽天性は、根拠のないものではなく、ワーカーの思想性や倫理性に裏打ちされて出てくるものだと思います。つまり人間の可能性に対する限りない信頼と倫理性に裏打ちされて出てくるものだと思います。
この文章を読んで、時間の大切さから楽天性を身につけるだけではなく、しっかり勉強して、楽天性を身につけたいと改めて思いました。これが学ぶ理由の一つだ。