福祉と形
1991年に書き記されていた。
その頃から、福祉の学びが直接的に就労に結びつかないそういう実態があったようだ。それは、福祉を学んだとして、その意識を働いてからもずっと持ち続けることが難しいのが原因の一つのようだ。
まだ読み進めてる途中だ。だけど、僕から言えることは、大学の実習は本当に大変だったけど、充実感もあった。それは実習先の工夫、指導者の教え方、自身の努力が混ざりあったからだと思う。
アセスメント、これは何か経験するほどに難しくなる気がする。アセスメントに関しては自分の受け持つ利用者なので、誰かに聞くことではない。そこから、計画書や目標を作成する難しさがあった。
例えば、ある高齢者がいて、その人は衰えていってる。その中でその方のトイレに関して、残存機能を生かす方針なのか?それとももう無理はせず、2人介助で座るのか?その方針がはっきりせずチームの中で怒られたことがある。
その高齢者が何を望むかは、すごく難しい。いまだに。
そういうアセスメントの難しさもある。
だけど勉強していくと、他の方のアセスメントや結構深いアセスメントを目にすることがある。そして、その時はそれを理解するためによく考えている。知らない間に。
ということはアセスメントは深く考えれるようにはなってきてるということ。
確かに、福祉のイメージはわかりずらかったりするが、アセスメント一つにしてもすごく難しいということだ。
怒った人もそうだが、それだけしっかり考えてる人がたくさんいるということだ。
何かをするためには、いろいろな考えとぶつかり合い、混ざり合うということだ。
そうして一つの支援は生まれていくと考えている。
それを明るい兆しにして、頑張っていきたいと思う。
もし勉強と現場が違いすぎるとしても、実習と同じように、支援も共同作業だから。
だから、嫌になった時は、実習を思い出してほしい。自分自身、ネガティブなやつだけど、実習はすごく楽しかったのは覚えている。
実習はおもいっきり全力で挑んでほしい。やればやるだけ発見やこれからの糧が見つかるのが実習だと思うから。福祉の学校が意識を育てていくとしたら、実習は、形あるものを掴み取れる場所だよ。
そんな出来事、実習があったら社会福祉士は諦めれない。少なくとも僕はそうだった。
これから福祉の良いとこを語っていきます。