発達
発達の可塑性
発達の可塑性とは個人の中での変化の可能性を指す
高齢者は流動性知能(一般的に流動性一般能力と言う。動作性の知能と言える。計算能力、推論能力、暗記力、思考力、集中力等のこと)は、使わないから低下する。これらを練習することで水準を上げることができる。また十分に教育を受けられなかった孤児などは(42月齢)、養子などに出され教育を受けることで遅れを取り戻せた。しかし生後6ヶ月では遅れが青年期まで持続したものもいる。
可塑性には個人差があると言える。
これは連続したことが大切なことだと思う。学生時代を思い出すと、国語一つにしても、国語以外に読書感想文の課題、他にも国語と連動するものがたくさんあった。
英語はどうだろうか、単語を覚えたり、英文を読んだり、リスニングしたり、それぞれが影響しあって確かな知識となり英語を勉強してる自分を自覚できたように思う。
それが他の科目でもあてはまり、勉強同士の繋がりがわかってきたから、他のテストの点数は上がったし、楽しかった部分もある。成長したのかもしれない。でも心は不安定であった。それはテストで良い点数を取りたいなどの理由であったからだと思う。その先が見えなかった。
社会人になってからは特に科目と科目を関連付けたり、生活と関連づけたりして勉強しているような気がする。
勉強を通して、人の役に立ちたい、生活をよりよくしたい等の欲がでてきて、勉強が自分や自分以外のモノに使うという目的に変わってきたような気がする。それは自分1人では生きていけないとわかったからだろうか。自分の欠点も大切なモノもわかった。頑張ってきたこともわかった。だからこそ、これではいけないと思うし、人の役に立ちたいとも思う。
まだまだアイデンティティーは確立はされないな。
発達の可塑性もそういう気持ちの揺れも理解した上での変化だから難しいことだと思う
可能性がある。良い風に成長するのは喜ばしいことかもしれないが、そこには不安もあることを意識して、サポートをしていくことは必要なのではないかと思う。
子どもなら親、お年寄りなら息子、娘、大人なら友人などがサポートできたらなと思っています
発達という視点で言えば子どもから高齢者までの成長を見ていく発達心理という分野は興味がある。それを考えていくことが、子どもで言う進路や問題に対処できるかもしれないし、高齢者で言うと生活習慣病なども含めた健康に目を向けられる気がするんですね
なので社会福祉士としてこれらを考えていくことは切れ目のない支援につながると思います。