「個人」としてふるまうこと
振る舞い→礼儀、姿勢→社会のなかの一人でありかつ
「個人」であること
つまりそれは同調することではない
気分に流されてはないか
考えることができているのか?
「個人」を主張することは「ひとりであること」をまとわせるものなのか
それに耐えられるのか?
振る舞い→礼儀、姿勢→社会のなかの一人でありかつ
「個人」であること
つまりそれは同調することではない
気分に流されてはないか
考えることができているのか?
「個人」を主張することは「ひとりであること」をまとわせるものなのか
それに耐えられるのか?