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京都に移住とまさかの失業

2024年10月末に京都に引っ越してきた。とは言っても、京都で暮らすのはこれで三度目。最近ではほぼ毎年と言っていいほど、引越しを繰り返している引越し貧乏状態だが、結局最終的に振り子のように戻ってくるのは、ここ京都らしい。

ここ2年ほどは藍染めを学びに徳島県でライターをやりながら暮らしていたのだけど、リモートで勤めていた京都の編集プロダクションの代表から「新しい仕事が始まるから京都に戻ってこない?」と誘いを受けた。

まだ徳島で暮らすつもりだったし、ライターの仕事が忙しすぎていきたかった藍染め工房にもカフェや観光地にも行けておらず、ずっと家に篭りっきりで仕事をしていたので、正直「どうしようかな…」ととても悩んでいた。

ただ、社長から言われたその言葉が呼び水のようになり、再び京都で生活をするということが自分の心の中にスッと現実味を帯びてきたのだった。「このタイミングでこういうお声がかかるということは、京都が再び私を呼んでいるのかも」などと思い、徳島から京都に戻ることに決めたのだった。

約1ヶ月ほどの間に嵐のように京都の物件を探し6軒内見に行き、家を決めて、一人暮らしの荷物を30箱分荷物に詰めて怒涛のように京都に引っ越した。

数日後、カフェで上司に会って言われたのは、「今の状態だと、仕事を任せることはできません」という一言だった。

正直、夏頃からの自分の精神状態・身体状態は最悪の状態だった。それまではどんなに辛くても、働く場所を変えたり(コワーキングスペースやカフェを利用するなど)実家に帰ったりすれば何とか原稿を書くことができていたのに、全くの無気力状態になってしまい、何も手につかなくなってしまっていたのだった。

この状態では、何も書けなくなってしまう、生活することができなくなってしまう、という焦りもあり、京都に引っ越して仕事内容や環境が変われば気持ちも変わって再び気力が湧いて働けるようになれるかもしれない、そう思って急いで京都ゆきを決めたのだった。

今思えば、あの抜け殻状態はバーンアウト(燃え尽き症候群)だったのかなと思う。毎日、誰とも話さず、家でも職場でも会う人がおらず一人ぼっちでひたすら仕事して自分を削って、すっかり気力が湧かなくなってしまっていたのだ。

いつになったら消耗する働き方から解放されるんだろう。ずっとずっと自分がやりがいを持てる仕事が欲しいと願い続けて頑張ってきたのにー。


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