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【統合失調症】新たな一歩 退職という決断

皆さんこんにちは、しおねです。
最近無水鍋にハマっていて、新しい大きな鍋を買おうか検討しています。

さて、今日は前回書き忘れた、就労移行支援を活用する前の退職手続きのこと、そして彼との関係の変化、新たな旅立ちについてです。

以上の4本立てとなっております。


退職という幕引き

就労移行支援を活用するにあたって市役所に相談したところ、市内で休職中に就労移行支援を活用したケースが無いとのこと。このまま活用出来ないという訳では無いが、回答にかなり時間がかかるとの事で、退職したあとであればスムーズに使えるとのことでした。
休職手当付きの療養休暇が使える期間も終わりそうだったたため、そのタイミングで退職を行うことを決意しました。

過去に一度は元の職場に復職することも検討し、「復職希望です」と上司に宣言はしたものの、事務手続きのためにオフィスに久しぶりに行ってみた時に、ここは自分の場所じゃない、と直感で感じてしまい結局休職継続を申し入れました。
しばらくは営業先も与えて貰えないということを告げられ、営業にも行けず、オフィスで飼い殺しにされる未来が見えていたので、私はこれで良かったのだと思います。これまでに2回も事故を起こしていて、車で営業するのもかなり厳しかったと思います。

統合失調症を抱えたまま、以前と同じように営業活動をしてお客様を何十人も抱えて、1日に3.4件のアポに臨み、抜かりない保全でお客様をサポートする…そんな未来が見えませんでした。

退職手続きは、皆が営業回りに出ている時間にオフィスに出向き、書類を何枚か書いて、休職時のまま放置されていた開かずの引き出しの中身を全て処分して、あっさりと終わりました。
5年以上インセンティブを稼ぎ続け、何度も表彰までされて会社に、オフィスに貢献したのにも関わらず少ない退職金に、本当にガッカリしました。

仕事もプライベートも充実させまくったものの体に不調をきたし、寿命の前借りで命を燃やして稼いでいた営業員時代という、私の人生の第一章が幕を閉じました。


人生の再スタート

晴れて退職し、就労移行支援を活用し始めた私は技術学習に取り組みます。簡単なマークアップ言語から、Javascript、PHP…元々web系の通信講座のスクールに通っていたため序盤の方は、その貯金でカバー出来ていましたが、学習が進むにつれてプログラムの手直しに四苦八苦するようになります。ですが、質問出来るシステムがちゃんとあり、それを活用してなんとか学習を進めていきました。
スケジュール的には翌年の春までに技術学習を終えて、そこから就職活動を進めていこうとなりました。

ここから先の生活で困ることとと言えば、退職したため手当が出なくなることだったのですが、ここで私は傷病手当金の制度を使います。会社勤めで健康保険に入っている人は誰でも使える制度です。退職後も16ヶ月まで使うことが出来ます。簡単に言うと、給料の3/2がもらえるという制度です。休職手当があまりにも少なかったので、大して貰えないだろうと思っていたのですが、私はここで過去の自分に助けられます。

インセンティブで稼いでいた私ですが現役時代給与が総支給で30万行かない程度でしたが、傷病手当金で一人暮らししても生活に困らない程度の金額を毎月もらえることとなります。まぁ本当は潰れない方が良いのですが、それでも過去に頑張って稼いでくれた自分に感謝しました。

そして、私は本当に幸運にもお金に恵まれていました。祖母から譲り受けた貯金がありました。本当は祖母が亡くなった時に私に託そうとしていたものだったらしいのですが、私の状態を聞きつけて、「しおねにとって今1番必要な時だから今使いなさい」と渡されました。なかなかこんなこと無いことだと思います。私は家庭環境は平和じゃなかったけど、その分金銭的に本当に恵まれていました。後々、この貯金が私を助けてくれます。


愛の終わり再び

彼との同棲を10ヶ月ほど続けてきて、私は彼との未来を現実的に捉えられなくなっていきました。
彼が悪いとかそういうことではありません。ただ、考え方や結婚に対するお互いの意向が合わないと非常に強く感じていました。
彼は結婚式がしたい、私は結婚式など挙げたくない。両親への感謝の手紙等絶対に読みたくないから。
彼は子供が欲しい、私は子供が欲しくない。自分の世話、社会復帰でいっぱいいっぱいなのに持病のある私が子育てのストレスに耐えられる自信もないし、そもそも子育てへの希望があまり無かった。
合わないことずくめです。段々と会話も減っていき、同居人のようになっていました。しかし、一緒にいれば楽しくて居心地が良い。それだけ。

ある日彼は言いました。「しおねを大切に出来ない。しおねと一緒にいると楽しいし気を遣わずに過ごせる。でも一生大切には出来ない」と。
私自身もこの頃、早く就職決めて出ていかないとな、別れるって言わなきゃなと思っていたところだったので承諾しました。言い難いことを自分から切り出してくれた彼に私はホッとしていました。自分の街に戻るキッカケをくれたのも、病気のことを受け入れてくれたのも、短い間でも楽しい時間を過ごせたことも、感謝こそすれ恨むことなど何一つありません。彼は間違いなく、私を闇から救い出してくれたのです。


新たな一歩

彼との同棲解消に向けて新しく住む場所を探し始めます。一悶着ありましたが、彼と話し合いの末、家の審査や引越しの手筈もあり、2.3ヶ月待って欲しいということで区切りをつけます。
妹と一緒に住むか検討したり色々考えた結果、一人暮らしをすることになりました。祖母からもらった貯金で審査が通り、親友夫婦にお願いして引越しを終わらせました。

祖母の家に保管してあった家具家電を引越し業者に依頼して運び出し、彼の家にある私の荷物を親友夫婦の車で運び出し、大変バタバタでしたが、私は新生活を始めることとなるのです。

私は人にも恵まれているんだなと感じています。素直だと傷つくことも多いけど、困った時に助けてくれる人が沢山現れます。別れることになったけど実家から連れ出してくれた彼もそうだし、引越しの手伝いを申し出てくれた親友夫婦もそうだし、運が味方してくれるんだなと。
病気になった時は神様を恨んだけど、でも私が死なないように病気にする代わりに、死を遠ざけてくれたのかも、と今なら思います。

初診に行く前は、当時7Fに住んでいたこともあり、飛び降りれるかを窓から確認してみたり、クローゼットの掃除をして中で泣き疲れて眠ったりと、おそらく希死念慮に取り憑かれていた時期もあったので、その先に行ってしまってもおかしくなかったのかもしれません。

今はそんなこと考えてないので、安心してください。私は毎日お薬を飲んで、健やかに過ごしています。

今日はここまでとして、次は就活について書こうかな。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
皆さんに素敵なことがありますように。

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