紅葉の季節、我が家の「悟りの窓」から見える景色は……
学生時代など若い頃は秋が楽しみだった。
京都郊外といってもいいような場所(本当はギリギリ大阪府内)に住んでいると、京都の紅葉めぐりが簡単にできるからだ。毎年「今年はこのエリアをまわろう」とコースを決めて、時には「しおり」まで作って、友達と紅葉めぐりを楽しんだものだ。
いつからか仕事に追われ、紅葉めぐりなどしなくなってしまった。
心の豊かさを失っていくようで、そんな自分が嫌だった。
ようやく仕事の忙しさから解放された時には、「身体が動かない」「人混みがしんどい」と、今度は別の理由で行けなくなってしまった。
せいぜい家の近所の大山崎山荘美術館辺りへ散歩に行く程度だ。
昔訪れていた紅葉スポットで一番好きなのは「蓮華寺」だった。
応仁の乱以降は荒廃していたのだが、狩野探幽、木下順庵、隠元禅師などの協力で再興したという。だからだろうか、「ザ・お寺!」という感じの仏教の雰囲気がなく、まるで風流を愛する文化人が建てた別荘のような趣きがあり、そこが気に入っていた。
入口の黄金色の銀杏は、風が吹くたびにシャンシャンと鈴が鳴るような美しさで迎えてくれ、お堂の中からは座って庭と池を眺めることができる。池に鶴亀の島を配した庭は石川丈山作で、柱を額縁に見立てて少し離れたところから見ると、美しい絵のようだ。
真っ赤な紅葉が池に映る景色もいいが、散った紅葉が庭を埋め尽くし、赤い絨毯のようになるのもまた風情がある。
仕事に追われている時期でも、なんとか時間を作って、ここだけは一人でも訪れた年が何度かあった。
30年前は穴場スポットだったが、ネットの普及で多くの人に知られるようになり、昔のように静かに一人で景色を楽しむことができなくなったのは残念だったが。
もうひとつ好きなのは「源光庵」だ。
関西に住んでいればよく知られた場所だが、他の地域の人にとっては、それほどメジャーではないかもしれない。
ここの見どころは主に2つ。
1つ目は紅葉とは全く関係がない「血天井」だ。
これは伏見桃山城にて、徳川家康の忠⾂・⿃居彦右衛⾨元忠らが石田三成の軍勢と闘い、惨敗。残った380余名も自刃。その時の血が飛び散った床を天井にして供養しているのだ。よく見ると、生々しい血の足跡などもあり、ぞっとする。
そして、もう1つが「迷いの窓・悟りの窓」だ。
京都の観光ポスターなどでもよく使用されるので、見たことがある人は多いだろう。
四角いほうが「迷いの窓」、丸いほうが「悟りの窓」と呼ばれている。
この前に座って外を眺めながら、自分自身の心をじっと見つめる。
どの季節も美しいが、特に秋の紅葉は写真のとおり見事としか言いようがない。
悟りの窓の円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現しているとのこと。私は大学生の時に初めてここを訪れて、それから「いつか自分の家を建てたら、必ずこの悟りの窓を作ろう」と決めていた。
そして、実際に作った。
窓からの景色が……ショボい……!
特に今年はショボショボである。
源光庵とのあまりの差に笑ってしまう。
以前は奥に見えている家の壁なんてなくて、畑と竹やぶが広がっていたのだが、今はこんなことになってしまったのも辛い。
見えている木は我が家のシンボルツリー、姫沙羅。
多少は色づくのだが、葉が小さいし、「紅くなる」というよりは「茶色くなる」し、それほど生い茂る感じではないので、こんな淋しい景色になってしまう。実はこの右横にドウダンツツジがあるのだが、成長が悪くて窓からはのぞき込まないと見えないし、今年は特に色づきが悪く、紅くなる前に枯れ始めている。
急にぐっと寒くなる年は、燃えるように真っ赤になって、とてもきれいなのだが……。
どうせなら源光庵のようにモミジの木でも植えればよかったかな、と思う。
せめてドウダンツツジが大きくなって紅くなってくれたらきれいなんだけどなぁ……。花を育てるくらいならなんとかなるが、素人に庭園づくりは難しい。(猫の額ほどのスペースなのに!)
それでも、夢だった「悟りの窓」をつけられたことには満足している。家を建てる時、設計士さんに不思議がられたが、ここだけは譲れなかった。
来年はもう少しきれいな悟りの窓の景色が見られればいいな。
地植えは怖いので、背の高い植木を置くなど、何か考えてみたい。
※トップの写真は昨年の大山崎山荘美術館です