出会いと別れの狭間で揺れる想い
親友が言った。
「私もあなたと同じだったよ。別れる時は辛いし、今は忘れられないって思うのもよくわかる。でも、新しい人が来ればそっちを好きになるし、大丈夫。前の人はすぐに忘れてしまうよ。そんなもんだよ」と。
そんなの嘘だと思った。
違う。
私は忘れない。
今も街で似たような人とすれ違うたびに振り返ってしまう。
違うとわかっているのに、何度も見つめてしまう。
そのたびに胸がちくりと痛む。
別の人と暮らすようになっても、それは変わらなかった。
親友が言っていたように、確かに気分は上がったし、好きだと思った。
でも、簡単に忘れるなんて、私にはできない。
だって、7年間も一緒にいたのだ。
いろんなところへ行った。いつも笑っていた。一緒に写真を撮った。
思い出がありすぎて、さよならした今も、せつない。
たぶん、それはこれからも変わらないだろう。
大好きだったよ、ありがとう。
ハスラー。
ちょっと擬人化して書いてみた。
本当は「人」ではない、「車」の話だ。
7年前に我が家は初めて車を買った。それが黄色いハスラーで、私と夫はハスラーと一緒に日本全国いろいろなところへキャンプに行った。
「世界で一番旅するハスラー」と、やや大げさなキャッチコピーをつけて、そのキャンプ旅の話を書いていた。いや、本当にうちのハスラーほど全国を旅したやつは「ハスラー界には」いないと思う。
一緒にフェリーに乗って九州や北海道にも行ったし、近畿圏内はもちろん、四国一周、小豆島、岡山、島根、三重、長野。富士山の麓にも3回行った。
これほどの遠距離なら、普通はもっと大きな車で行くものだ。それもキャンプ道具をぎゅうぎゅうに積み込んで走るのだから大変だ。(冬場は薪ストーブまで!)
当然、2人しか乗れないし、夫は私から「積み荷職人」の称号をもらうほど、狭いハスラーの車内にたくさんの荷物をきれいに積む技を身につけていた。パズルのように隙間なく埋めていくのだ。
うちのハスラーは、とにかくかわいいやつだった。
ぬかるんだキャンプ場で足(タイヤ)をとられ、ぎゅるんぎゅるんとタイヤを滑らせて泣いていたこともあるし、バックが下手な夫が溝にタイヤを落として這い上がれなくなったこともある。軽いから、風の強い橋の上では何度も飛ばされそうになって、そのたびにヒヤヒヤしたものだ。
ガタガタした道が苦手だから、夫はいつもそういう場所をゆっくりと走った。「そんなにゆっくりせんでも」と私が言うと、「だって、ハスラーちゃんがかわいそうやから」と気遣っていた。
高速のサービスエリアの駐車場に停めて、買い物をして戻ってくると、うちのハスラーだけが輝いて見えた。
「見て!うちのハスラーちゃんが一番かわいい」
私が言うと、夫も「ほんまや」とうなずく。子どもがいたら、きっと二人とも親バカになっていただろう。
7年間、いつも、どこへ行くにも一緒だった。
大好きだった。
それなのに、今年に入って、夫が急に「車を買い替えようと思う」と言い出したのだ。「7月に車検があるから、そのタイミングがチャンスだ」と。
最初は、イヤだイヤだと抵抗したが、キャンプ道具はどんどん増える一方で、すでに積み荷職人の手にも負えなくなっていることは、私にもわかっていた。
何より、運転するのは夫だ。
ついでに、車を買うお金を出すのも夫だ。
私には口出しする権利などなく、夫は「荷物がたくさん積めて、ぬかるんだ道でも走れるような車にする」と言い、「SUV比較!」みたいなタイトルのついた車雑誌を買ってきた。
「かおりもどれがいいか見ておいて」と雑誌を渡されたが、とても見る気になどなれなかった。ハスラーを失う淋しさのほうが大きく、新しい車に興味など湧かなかった。夫が勝手に好きなのを買えばいい、と投げやりな気分だった。
夫は案外楽しそうにその雑誌を見ていて、3、4台の車に絞ると、早速試乗の予約をとった。
Jeep、マツダ、MINI、トヨタ。
複雑な気持ちを抱えたまま、私も試乗には付き合うことにした。
最初は気乗りしていなかったのだが、試乗してみると、あれ?なんか楽しいかも……?
ちょっとだけワクワクしている自分に気づいたが、試乗の後、駐車場で待っているハスラーの姿を見ると胸が痛んだ。浮気を見つけられた時って、こんな気持ちなのかしらと思った。
それでも、マツダに行った後は、家に帰るとそっとあの雑誌を開いていた。
次はMINIクロスオーバーに乗る。雑誌でどんなのか見てみると、かわいい!
SUVって、スポーティーで、いかつくて、かわいげのない車ばかりだと思っていたけど、こんなかわいい車もあるんだと知った。
「私、どうせ買い替えるなら、MINIがいいなぁ」
初めて新しい車について私が積極的に意見を述べるのを聞き、夫は目を輝かせた。
「MINIやったらいい?そうか~、確かにMINIは俺ららしいかもしれへんな。乗ってみてよかったらMINIに決めよっか」
Jeepのラングラーは見積もりをとったら予算の2倍もして目玉が飛び出るほどお高いのに、乗り心地はあまりよくなかったし(見た目はめちゃくちゃカッコイイけど)、マツダCX-60は乗り心地最高で、あのレッドカラーは魅力的だけど、ラグジュアリーすぎて私たちには合わない。キャンプに行く雰囲気でもない。
その点、MINIクロスオーバーは、ミニクーパーのかわいさそのままに車体を大きく四駆にした感じで、私たちの要望を満たしてくれていた。
実際、試乗してみると、乗り心地も良い。色を選ぶだけでなく、ワンポイントのラインを入れることができるのも気に入った。夫と意見が一致し、MINIクロスオーバーに決めた。
納車までは少し時間がかかった。新しい車に乗る日が待ち遠しい反面、ハスラーとの別れが近づくにつれて、淋しさも増していった。
親友のFにその話をすると、彼女はこう言った。
「私も車買い替える時淋しかったけど、次の新しい車が来たらすぐにそっちに気持ちがいって、もう前の車なんて思い出さへんで。そういうもんやから大丈夫!」
まるで、別れた恋人のことを忘れるためには、新しい恋をするのが一番!とでもいうように。
そんなものなのかな、と思いながらも、いや、私はそんな薄情な女じゃない!とも思ったり。複雑な気持ちのまま納車の日を迎えた。
営業さんに「こちらです」と案内され、私たちの車を見た時、「新しい車というのは、こんなにテンションが上がるものなのか」と知った。
「記念に写真を撮りましょう」と営業さんに言われ、車の前に並ぶ私と夫。
確かに嬉しかったし、ワクワクした。早く乗りたかった。
いくつかの手続きを終え、新しいMINIに乗り込み、営業さんが笑顔で見送る中、私たちはその場を走り去った。振り返ると、乗って来たハスラーが駐車場にポツンとたたずんでいた。ここで下取りもしてもらったので、置いて帰る形になったのだ。
「……ハスラーちゃん!!」
その姿があまりに淋しそうで、なんでボクを置いていくの?と責める声まで聞こえる気がした。後ろめたい。でも、もう別れるしかないのだ。
「ありがとう~!ハスラーちゃーん!!」
「いい人に買ってもらうんだよ~!」
涙ぐみながら手を振った。まるで大事に飼っていたペットを置き去りにするような、そんな気分だった。
嬉しいはずなのに、2人とも少ししょんぼりしていた。
初めて買った車ということもあるし、思い出が多すぎる。ハスラーとは、いろんなところへ行きすぎた。
あれから半年。
もうMINIと一緒に富士山や北海道など、いろんなところへ行った。
やはり軽自動車とは違って安定感があるので、長距離を走っても疲れにくい。以前は荷物でいっぱいで、少しもシートを倒す余裕がなかったが、今はそれもできるし、個別のシートヒーターが温かいのもいい。
半自動運転みたいな機能がついているので、夫も運転するのが楽だという。
そして、夫は積み荷職人を引退した。
もう職人の腕がなくても、ハスラーの2倍近い量の荷物が積めるようになったからだ。おかげで、これ以上は積めないからとあきらめていたキャンプ道具も買うことができた。
最初は人見知り(車見知り?)していた私も、だんだんMINIに心を開き、今では通じ合っている気がする。「馴染んできたね」と夫とも話す。
友達に写真を見せて、「カッコイイね」「かわいいね」と言われると、自分のことのように、すごくうれしい。
だけど、親友のFが言っていたように、「前の人」のことを思い出さなくなることはなかった。
今でも街を走っていて、黄色いハスラーとすれ違うたびにドキッとする。振り返ってしまう。もしかして、うちのハスラーちゃんかもしれないと、特徴を探してしまう。
そのたびに、少しだけ胸がちくりと痛むのだ。
運転免許もなく、車を持ったことがなかった私は知らなかったのだ。
車にこんな愛情を持てることを。
今のMINIも大好きだけど、やっぱり忘れることなんてできない。
7年間ありがとう。
大好きだったよ、ハスラーちゃん。
誰かを乗せて、今日もどこかで快適に走ってくれていたら、とてもうれしい。