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「元気玉」が生まれて、できることがどんどん増えている

昨日の朝、風が変わった。
それはもう完全に秋のもので、ようやく猛暑から逃れられるのかと思いホッとした。

3月から治療を始め、副作用に苦しめられた時期もあったけれど、半年という長いスパンで見てみれば、確実に右肩上がりで元気になっていると感じられる。
先月、自分の中に「元気玉」みたいなものがポッと生まれたことに気づいた。この感じをどう表現すればいいのかよくわからない。風邪をひいて寝込んでいたのが徐々に回復していくようなものとは違う。
本当に「ポッと生まれた」のだ。
それはとても小さな光のようで、熱を放って動いていた。そして手足を伸ばすように少しずつ成長していくのがわかった。

「元気玉」によって、まず思ったのは「友達に会おう」だった。
数か月前の自分ならそんな気持ちは起こらなかったし、もしそんな気持ちになったとしても現実にはできなかったはずだ。

8月初旬、関東にいる友達がこちらへ帰って来るタイミングで、うちへ来てもらうことにした。まずは3人で会った。5時間しゃべった。まるでガンも治療も副作用も何もなかったかのように、昔と同じ楽しい時間が過ぎた。

次はお盆休みに、その友達2人がそれぞれ夫を連れてきて、夫も入れてうちに3夫婦が集まった。
10年以上前から、年に1、2回は集まって飲み会をしてきた仲間たちだ。
以前は私が何品も手料理をふるまっていたが、それはさすがに無理なので「持ち寄り」にしてもらった。
この時、少しだけお酒も飲んだ。カンパイだけのつもりが、みんなといると体が楽で、予定より少し多めに飲めた。
たくさんしゃべって、たくさん笑った。

私はホタテのカルパッチョとラタトゥイユを作って、
ホームベーカリーでパンを焼いた。
あとはみんなの持ち寄り。
ここには写っていないが、
肉味噌のパリパリレタス巻も出した。
夫が天ぷらとお好み焼きも作ってくれた。


それから8月最終週は熱海の貸別荘へ5泊6日で出かけた。車で5時間以上かかったが、平気だった。老舗洋食屋のフルコースもたいらげた。長距離移動が大丈夫だということを確認できた。

今月に入って、また別の友達が来てくれた。彼女の親の具合が悪くなり、介護生活をしていたことをまったく知らずにいた。そんな辛い時期にも私のことをしょっちゅう気にかけてメールをくれていたことを思い出し、本当にこの友達を大事にしていこうと、改めて自分に誓った。シビアな話もあったが、また楽しい時間を過ごせた。

それから、先週は別の友達2人がおいしいお菓子を持って来てくれた。これまで年に3、4回は会って食事に行くメンバーだったのに、今年は私のせいで一度も行けていない。でも、家でお茶を飲みながらゆっくりおしゃべりするのも悪くなかった。いつもより長くじっくり話せた。いい時間だった。

とりあえず、「家に人が来てくれて、数時間おしゃべりをする」ということはクリアした。
治療をスタートした半年前は、こんな日が来ることを想像できなかった。次に友と会う時は、布団の中で死に際じゃないかと、そんな縁起でもないことを考えたこともあったというのに。

そして、先週はついに「おでかけして外で友達と会う」ということをやってみた。
一人で電車に乗って梅田まで行くことが半年ぶりだった。夫がいなかったので駅までの送り迎えもない。自分で最寄り駅まで歩き、電車に乗った。
たかがそれだけのこと。
だけど、そんな「できて当たり前のこと」が、ほんの数か月前は不可能に感じていたのだ。(実際不可能だった)
暑い中を歩くこともほぼなかったので、ああ、外ってこんなに暑いんだ。みんなこんな毎日を過ごしていたんだと肌で実感した。毎日エアコンの効いた部屋に閉じこもっていたから。額から流れ落ちる汗すら新鮮に感じた。
梅田のティールームで友達に会った。彼女とは大人になってからの付き合いだが、きっとおばあちゃんになるまで仲良く過ごせると思う。
1年ぶりだったので、会うなり質問攻めにされた(笑)。2時間程度だったが、思い切りしゃべれた。

サンドイッチとケーキと紅茶


そうそう。ずっと家にいて、ほぼ誰とも話すことなく過ごしてきたので、長時間しゃべることに「のど」がついていかず、友達としゃべると必ずのどが嗄れる。のども鍛えておかないと弱るんだなと知った。

そして、先週の金曜日は、夫が立ち上げたビール会社の直営店へ行った。
現在、10月1日のオープンに向けて、知り合いに向けて営業するプレオープンを予約制でやっている。
最初はプレオープンに行くメンバーに私は入っていなかった。まさか自分が堀江まで出かけて、ある程度たくさんの人の中で長時間過ごせるとは思っていなかったからだ。行くからには多少ビールも飲まないといけないし、参加するつもりはなかった。

でも、この1か月、友達が家に来てくれたり、外でもお茶したりできたので、ちょっと自信がついていた。熱海まで行けたことも、食欲が出てきたことも確実に自信になっていた。
それで直前になって「私も行く!」と友達に伝え、一緒に夫の店へ行った。そこでの詳しい話はまた別の記事で書こうと思うが、とにかく私は店へ行き、みんなでカンパイしたのだ。ちょっと味見程度……と思っていたビールも思っていた以上に飲めた。
久しぶりに会う知り合いがいたり、夫の会社の人たちや店舗スタッフに挨拶したりと、やや緊張感のある、にぎやかな時間を過ごした。

お店の外観
地上から見えるけど、半地下
デザイナーさんに描いてもらった
日本食専用ビールなので、
店内やフードもやや日本風に。
現在、3種類を製造。
飲み比べセットを頼んだ。
私のお気に入りはsession IPA


夜遅い電車、ほろ酔い気分の夜道、まだ抜けない高揚感。

友達と別れた後、家まで続く坂道を歩きながら、私は自分に感動していた。ああ、私、ここまできたんだ。こんなに良くなったんだ、と。
飲み屋でみんなでワイワイ騒ぐ日がまた来るなんて。ほろ酔いで夜道を歩くなんて。
まだ現実だとは思えないほどだった。

まあ、この日はさすがに無理しすぎた。変なアドレナリンが出ていたのか、あくびは止まらないのにまったく眠れないのだ。
翌朝もひどかった。「今日はもう使い物にならないな」とわかったので、予約していた鍼灸も休んだ。
それでも夫にあれこれ昨夜の感想をしゃべり続けて、のどが嗄れた。
そんな私を見て夫が言った。
「今までずっと誰とも会わずにいて、話題も刺激もなかったのに、昨日は急にいろんな人に会ったから、すごいしゃべりたいことがあるんやな」
本当にその通りだった。
脳がいきなり刺激されて、ずっと興奮状態だった。無人島に一人で1週間過ごしたら、きっと人に会えた時にこんな感じになるのかもしれないなと思った。

今、とても調子が良い。治療を始めてから一番いい。
16日からレンビマを再開し、2、3日したら、急激に痛みが減ったのだ。
痛み止めの薬の量を見れば、一目瞭然。
トラマール5~6錠 → 2錠
ロキソニン2錠 → 0~1錠
30分ほど立ったままで料理などしていると痛みが出てくることもあるが、座っていればほぼ痛みは出ない。
痛みから解放されると、気持ちがぐっと明るくなる。

でも、たぶん、この1か月、いろいろ行動できたのは、心の中に生まれた「元気玉」のおかげかなと思う。
もちろん「身体」そのものが「良くなっている」ことは確か。
だけど、痛みから解放されていなくても、ほぼ寝たきりの毎日でも、「誰かに会いたい。会おう」と思った。そう思えたのは「元気玉」が生まれたからだ。

「元気玉」って何さ?と思うかもしれない。私にも表現が難しい。
「生命力」みたいなものに近いのかもしれない。
身体も心も「死」に向かっていたのに、くるっと180度回転して「生」に向かい始めた瞬間だった。
不安や恐怖が少しずつ減っていき、代わりに希望が大きくなっていった。
そして、実際に行動してみたら、できることがわかって自信になった。自信が湧くとさらに新しいことがしたくなった。そうやって1つずつできることが増えていき、やりたいことも増えていった。
今はそんな状態。

仕事もそうだ。
少し前に書いていたが、10月初めに1件取材の仕事が決まった。
「秋には仕事復帰する!」と言いながらも、ただ痛みと向き合っている時間は、そんな宣言など夢のまた夢のように感じていた。
でも、「やりたい」「やれる」と思い、本当にやることになった。
たとえ翌日起き上がれなくなってもいいのだ。それでも2時間の取材ならちゃんとできると、今は自信がある。
不安より、ただワクワクしている。

先日、日本酒雑誌のクライアントからも連絡があり、10月後半から少しずつ取材を受けるという話をした。
無理はしない。年内は3件程度にしてほしいとお願いした。本来ならこちらが条件など出す立場ではないのだけど。
それでもいいと、こんな私を受け入れてくれることが本当にありがたい。

以前よりもさらに良い仕事ができるよう、精一杯努めるつもりだ。
この「元気玉」をどんどん育てよう。
私の中でいっぱいになって、情熱を振りまいて、弾け飛ぶくらいに。

それにしても、「人」からもらうパワーってすごいな。
この1か月半の間に、8人の友達に会った。ほとんどが中学もしくは高校からの親友だ。
みんなが私を元の世界に引っ張ってくれたような、そんな気がする。死神を追い払ってくれた。

「峠は越した」という言い方が合っているのかはわからないが、もう私は「死」へと向かっていない。あとは良くなっていくだけ。
今は自分で確かにそれがわかるんだ。

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