A World Gone Mad リンドグレーンの戦争日記1939-1945
アストリッド・リンドグレーン 著
石井登志子 訳
岩波書店 本体3400円+税
スウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーンは、『長靴下のピッピ』をはじめとする作品で世界的に名高く、日本でも2世代・3世代にわたって読み継がれている。
本書は、そのリンドグレーンが作家になる前の日記だ。書き始めは「ああ!今日、戦争が始まった」。それはドイツ軍がポーランドに侵攻した、一九三九年九月一日。当時のリンドグレーンは、ストックホルム在住の三十二歳の主婦で、事務の仕事をしながら、十代の息子と五歳の娘の子育ての真っ最中。前日まで公園でママ友と“戦争にはならない”と言っていたのに…。
それが一九四五年まで続く第二次世界大戦に発展するとは、当時は誰も知らない。ドイツ軍が欧州各地に侵攻し、やがて日本も参戦して、世界で信じ難いことが次々に起きていく。その間、彼女は新聞記事を切り抜き、戦局を細かく記録していた。その理由は誰も知らないが、自分なりに状況を理解したかったのだろうか。当時はインターネットどころかテレビさえない時代で、主な情報源は新聞だった。日記は五年間で十七冊にもなったが、現代のブログとは異なり、誰に見せるわけでもなく、戦後も自宅の柳の洗濯籠に入ったままだった。
二〇一五年に長い眠りから覚めて出版され、この度日本語訳も出た日記を読むと、欧州でどのように戦争が展開していったか、驚くほどよくわかる。第二次大戦中、スウェーデンは中立を貫いたので、リンドグレーンの日常生活は、物資制限は受けたものの普通に営まれた。だから彼女は日記を書き続けることができたし、広い視点がもてたともいえるが、他の一般市民がここまで戦争を把握していただろうか。ユーモアあふれる明解な文章に、その後の作家としての資質を感じる。日本語版にはスウェーデン語の記事の切り抜きの一部の他、日本人に馴染みの薄い固有名詞に訳注も添えられている。
歴史書と異なり、日記からはひとりの人間としての恐怖感も伝わってくる。スウェーデンも南からはドイツ軍、東からはロシア軍が迫り、一方と戦えば、もう一方に攻め込まれてしまう状況での中立だ。リンドグレーンも、心情的にはロシアやナチスに反発し、侵略された国の人々に深く同情しつつ、無力さに打ちひしがれ、普通の生活ができるだけで罪悪感さえ感じている。
戦争が深まると、彼女は海外からの郵便物を検閲する極秘任務につく。欧州各地からの手紙には、ユダヤ人迫害、飢餓や拷問など、人々の悲痛な声が込められていた。リンドグレーンは、強制収容所で亡くなった人、餓死した子どもたち、傷ついた兵士に思いをはせ、「憎しみは平和になったその日に終わるわけではない…(中略)それでも人間が少しずつ健全な気持ちを取り戻すことができるように、どうか早く平和になってほしい」と願う。(一九四三年八月二六日)
戦時下でも母親として子育ては続き、息子が勉強をしない、娘の咳が止まらない…などの悩みは現代の私たちと変わらない。娘の誕生日が来るたびに「次の誕生日は平和であるように…」と願うが、それも空しく、十歳の誕生日を迎える。娘へのプレゼントは、力持ちで天衣無縫な少女ピッピの物語の原稿だった。ピッピの誕生については、日記にはあまり多くの記述はないが、娘カリーンさんのあとがきによると、一九四一年冬に就寝時に語り聞かせる物語として生まれたそうだ。長い戦争で精神的に疲弊していても、ピッピの原稿を書いている時の日記には「楽しい」と記される。ピッピは、リンドグレーンの心の奥に残る希望と元気の源だったのだろうか。終戦直後に出版された時、多くの人々が、元気いっぱいのピッピの出現をなぜ大喜びしたかが、納得できる。
ピッピ登場から70年以上たった今も、世界中で信じがたい事が起きている。本誌読者には、政情不穏な国で子育てしている方もあるだろう。私たちも、広い目と心をもって世界を見つめ、ピッピのような希望を子どもに伝えることができるだろうか。
(初出:月刊海外子女教育 2019年1月号)
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