「この曲はひらがなとカタカナで歌っているね」という次男の心理を想像できるだけで充分な気がしてきた
「会話にならないなぁ」
言われて、はたと思考が立ち止まった。
仕事で、そんな風に言われたら、仕事にならないじゃないか。
何もわかっていない、勉強不足、考えが浅い、なら知識を詰め込めば済む。だけれど、会話にならないは困る。知識不足かさえもわからない状況はまずい。
元々、会話は得意じゃない。喋れば擬音のオンパレード。文字にすれば語彙は出てくるのに、喋ると感情的で感覚的な喋り方になってしまう。
だから、たとえば発表なんかは内容は文字にして、手で書き込み、音読後に喋る。発表なんか、ほとんどしないけど。
で、冒頭は、役員さんの言葉なのだけど。
会話を振り返ると、私には勝手に相手の考えを想定して答えていることがある。
自分がわかること、応えられることに変換して応えてしまっている。
自分に突っ込む。主語が無い相手には、まず主語を聞こう。
勝手に相手を慮ったつもりで、勝手に想像して応えないこと。間違った回答は、逆に不要なやり取りが増えて、煩わせるばかり。的外れな言葉を聞きたいわけじゃ無い。
何の期間ですか?
たったそれだけ。
会話ってそうゆうことだよね。擦り合わせるためのやりとり。勝手に解釈して応えていたら自分も相手も疲弊してしまう。
会話の目的は、早く応えることじゃなくて、正確な情報をストレスなく必要なラリーをして伝え合うこと。
母とは、私の解釈が必要になる時がある。言葉が出てこない時の、「あれ」に対して流れを読みながら応えを出す。ある種のゲーム。
私と母の会話を聞いていた夫は、何で会話が成立するのか不思議がっていた。生まれ育ったときからお互いの感覚的なものをぶつけているから、訓練されているのかもしれない。雰囲気や、流れや空気は、場所よりその場にいる人と人。
まだ喋らない三男や、主語吹っ飛ばす次男にも、想像力をフル回転で答えている。
次男が、「この曲はカタカナとひらがなで歌っているね」と言った。音で文字がわかるんか?漢字もあると思うけど、と意味がわからなかった。ふと「英語がないってこと?」ってきくとそうだった。
お風呂には、ひらがな表、カタカナ表、英語が壁に貼ってあり、次男の中で独自の分類がされていたと想像できた。
長男に対してはわかっていても、何が?どうしたいの?とちゃんと言ってもらうようにしている。
お、長男にはできているやないか。ちゃんと確認をとっている。
同じことだ。
伝達ミスは片方のミスじゃ無い。相互に不足がある、んじゃないかな。
そこは想像力を働かせよう。
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