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外商員と祖母の神様

数年前に他界した祖母は、ショッピングと旅行が趣味で、明るく人当たりの良い人物だった。
祖母は基本的に(家族<趣味)という人なので、晩年世話をする母や祖父は苦労していた様に見受けられた。

私がまだ3歳くらいの子供の頃から、よく祖母に百貨店に入ってる宝石店に連れて行ってもらった事を、今でもよく覚えている。
大きめの飴玉くらいあるアクアマリンを見るのが大好きで、祖母についていた外商員の方にお願いして着けさせてもらっていた。
もちろん、当時の自身のお小遣いで買えるはずもなく、祖母もアクアマリンには興味が無く、あの憧れのアクアマリンは手に入れる事は叶わず。
また大人になった今となっては、興味もセピア色まで色褪せてしまった為、おそらく今後の人生で手にする事は無いと思う。

 祖母は、百貨店の担当外商員の女性に強く勧められると断れない、断る事がみっともないと思う人だったので、家には使わず箱にしまったままになったブランド品が沢山あった。
後に祖母が他界し、遺品を整理すると箱に入ったままカビが生え、価値もなにも無くなったレザー物がいくつか出てきた。
そして悲しい事に、昔祖母から「大きくなったらあげるね」と頭を撫でながら言われた宝石達の姿は、ノーブランドの真珠のネックレス以外は残っていなかった。
新しい何かを買う為に、売られてしまったのかもしれない。
ちなみに、そんな祖母の資金源は本人からではない。9割は親族からの遺産からだと母から聞いていた。
遺産だけでも、30年以上前で1億円くらい有ったいう事なので、とんでもない金額である。
つまり人当たりが優しく、金払いが良い人間を優良顧客認定するのは当然で、母曰く気がつけば祖母には担当外商員がついていたという。
そして、宝石だけではなく友禅染の着物や、浄水器、羽毛布団までを言われるまま買い続け、増える事のない資金は数年で底をつき、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに百貨店からの連絡は途絶え、金回りの良さそうな友人は訪れなくなり、静かになった客間には、雑多で無価値そうな謎の置物で溢れていった。
そうして、みるみる祖母の背中は丸く小さくなっていき、性格も卑屈になっていった。
悲しい事に、一度味わった贅沢は中々抜けず、歳を重ねた頑固さも相まり、かなり刺々しい性格になっていた事もあった。
本人もこのままでは駄目だと分かっていたようで、元の質素な生活に戻る為に努力をしてみたようだったが上手くいかず、最終的には神頼みするしか無かった。

そして、親戚に勧められて始めた宗教にはまった事で、突如信心深くなり文字通り人が変わった。
人は、囚われる事が増えると自由を失っていくのに、何故安心を感じるのだろう。
宗教という新しい概念に囚われて、雁字搦めになっていたのに、祖母は安息の地を手に入れたかの様に見えた。
信じる者は救われる、ある意味でそれを体現していたかに思われた。

しかし、神は祖母を救わず天罰を与えたように私は今でも思っている。
入信し数年の月日が経ったある日、それは起こった。
真夏の炎天下の中、叔父が祖母を車の中に放置するという、悲しい事件だった。
叔父という人物は、動物園で育てられた動物の様に、自然という社会で1人では生きていけない、そういう類いの人間である。
つまりは、判断力というものが悉く間違った方向へ発揮してしまう、そういう人である。
そしてそれは、祖母が育て上げた人格で因果応報と言っても過言ではない。
こうして、その灼熱の車内で気を失った祖母は、脳梗塞を起こし、それが原因となり、最後は自分が何者で有るかさえよく分からないまま数年を過ごし、この世を去った。
最終的に苦痛なくこの世を去れた祖母は、幸せだったのだろうか。
これは、ある意味で救いなのだろうか。
その答えは永遠に聞けないまま、祖母の物語は終わった。

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