こどもでいるには、知りすぎた
大人になるには早すぎて
子供でいるには知りすぎたー。
羊文学
そもそも、年はとりたくない。
「年を取る」ということ自体にグッとくる人も多いかと想うが、私はそもそも年を取りたくない。こんなにかわいいワンピースがキツくなるなんて、そんな未来を受け入れられる気がしないし、大好きなこのツヤ肌ファンデがシワに溜まるなんて、考えたくもない。年を取るなんて、ロクなことじゃない!!
おばさんになるのやだな〜なんて漠然と思ってた数年前から一変、年を取る不安はどんどん具体的になって、あれがやだこれがやだってただただ嘆くだけ。そうして迎えた25歳。つまり、アラサー。
こんなガキンチョ思考の私は、果たしてアラサーという事実とどう向き合えばいいのか。
≒どう向き合うのがぐっと来るか。
そろそろ考えずにはいられなくなってきた。
嫌いな言葉は「自分探し」と「年相応」
25になった今も学生時代と変わらず、いつだってココロに刺さるお洋服を着てたいって思ってる。アンチ年相応の精神。そんな想いは年々増える一方。今日もAラインの短いワンピースが着たいし、厚底スニーカーだって履きたい。ハラジュクのあのお店に今日もお洋服を見にいきたい。
大丈夫。私はフリフリのレースを「似合わない」ってだけで苦手になれてる。そう。つまり、本当に似合わないものにこのココロはグッときやしない。何にときめいて、何が好きじゃないのか。それを感じ取るセンサーだけいきてれば、あとは何も怖くないんだ。
今日もお洋服をみる。あらゆるアートワークをみるし、写真をみる。音楽だって聴くし、TikTokだって見ちゃう。たくさん知って、どんどん盗む。そうして今この瞬間の私が1番好きになれる私を作る。
自分なんてモノはない。私がイケてると思える私でいるために、自分がグッとくるものを常に探し、どんどん真似するんです。そしたら真似の中にもこだわりができて、真似から“私自身”になるから。そうしていると、時に新たに好きになれるモノをみつけて、それもまた真似して、そうやって自分が願う“最高な自分”をもっとアップデートしてやるんだ!
こうして“前の自分”と“今の自分”の差がどんどん開いて、過去はどんどん遠くなって。
気づいたら、「まだこども!」って言い張るには変わりすぎてた。
認めたくはないけど、どうやらオトナになったらしいな。