「差別意識」は普通の人間だからこそ
前にチラッと書いたことがあるけど
自分は今まで尋常でない数の人間と接触してきた。
ちょっと特殊なことなのでそれゆえの独特の価値観というのがあるんだと思う。
尋常でない数の人間と接触するには
・臨機応変に対応できる力
・頭の回転の速さ
・高度な技術
・先天的に持っている才能
・集中力の高さ も必要だけど
人間そのものの適性もあって
「元々人を差別しない人間」か「元々強烈な人嫌いの人間」か
どちらかの人間しか出来ない。
自分の場合は前者で、基本的に自分は無条件に人を差別しない。
自分が嫌なことをされない限り差別的な態度は取らない。
だからこれが出来た。
強烈な人間嫌いというのは大量の人間と接触しても
人間がモノにしか見えないらしくストレスにならないんだとか。
だから出来るらしい。
普通の人間というのはどこか差別的なところを持っている。
身なりで人を判断したり
言葉遣いで人を見てみたり
一緒にいる人間を見てその人を判断したり
立場で人を判断したり
少なからずそういうところがあるのが普通の人間。
また、普通の人間は
「自分は相手にされるのが普通」という感覚を持っている。
日頃から友人や家族と一緒にいる時間が長い人間ほどそういう傾向がある。
ちょっと特殊なことだからこそなのかもしれないけれど
どうも普通の人間のこの2つが、これに関しては災いする。
勝手な先入観や差別意識から無意識的に人を選ぶ奴もいるし
「どうして自分は相手にしてもらえないんだろう」と勝手に落ち込む奴もいる。
大量の人間を一度に相手にするのでその全員がこちらを相手にするはずがないという前提を
普通の人間はどうも受け入れられないらしい。
また、自分が差別的なので選んだ人間としか接触できないとかわけのわからない状態になり
本来の目的から反れるのでこれに関してはアウトになる。
だからこそ、両極端に振り切った
「元々人を差別しない人間」か「元々強烈な人嫌いの人間」か
どちらかしか出来ない。
また、普通の人間というのは普通の人間を求めていないところが
どこかにある。
アーティストが見たいと思う感覚に近いんだと思うけど
どこかで非日常を求めているところがあって
普通の人間からすると
「元々人を差別しない人間」とか「元々強烈な人嫌いの人間」とか
そういう両極端な人間というのは奇抜で物珍しく見えるらしい。
自分の場合は
個性が強烈なのとラップか落語でもしてるんじゃないかぐらいの勢いで喋るので
余計に目立つらしい。
それもあるけれど、元々差別しない人間というのがあってか
不思議と人が自然に集まったり、老若男女関係なく話しかけてくることが
自分は多い。
普通の人間からすれば差別しない人間というのは非日常なので
一瞬だけふっと日常から解放されたような感覚になるんじゃないかと思う。
強烈な人嫌いの人間の場合
もう人間が嫌いすぎるので好きとか嫌いの次元を遥かに超え
人間というものに感情が沸かなくなり、モノにしか見えないらしい。
人間を意識していないせいか、
表情も乏しく仕方なく口を開いて話しているようなところがあり
傍からみると感情のない精密機械のようにも見えたりする。
それが物珍しく非日常に見えるんだと思う。
そして精密機械に見えるからこそ
「この人本当はどういう人なんだろう?」という興味を起こさせるらしい。
だから不思議と人が集まったりする。
本人もモノにしか見えないので大量の人間の圧というのを感じないらしい。
また、好き嫌いが一切ないから誰に対しても態度が変わらないという
逆説的な良さと安定感はあったりする。
最初見た時ビックリしたけど、だんだんなるほどなと思ったりした。
ちょっと特殊なことをやってきたからこそ
「差別意識」は普通の人間だからこそ持っているものというのは
よく理解している。
拙い文章お読みいただきありがとうございました。
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