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エネルギー(仮)の量

自分の中に容器みたいなものがあって。
この場合、特に形状とかは問わないので、コップでもバケツでも想像しやすいもの何でもいいけど、自分自身の気持ちとか感情とか創造とか、そういうものが今どのくらい蓄えられているか、というのを感じることがよくある。
例えば「今日は何も思い付かないな~」って時は、このエネルギー(仮)が無い日。

日によってその状態は様々で、どの時が良いとかそういうのはなくて。
いくつかの日に分かれるなって、最近になって改めて思った。
訪れるサイクルもペースもバラバラで、規則性のようなものは特に無さそう。

「フル」の日
エネルギー(仮)がいっぱいある状態だと、新しく何かを受け入れることが難しい。
とにかく出して何らかのカタチにしないと、自分自身がとても苦しくてつらい。
いっぱいなのに吸収しやすい状態というのが何故か続くので、文字通りいっぱいいっぱい。
どこかぼんやりしてしまうこともあるので、少し危なかったりもする。

「空(カラ)」の日
何かをつくったりした後というのは、ほとんどこのエネルギー(仮)が自分の中に無い状態なので、更にもう1つ何かをつくろう!というふうにはなれない。「力を出し切って疲れたー!」という感じになる。
「フル」の状態からは解消されるので、そういう意味ではスッキリする。

「無」の日
無い状態だと、本当に何も思い付かない。
だからと言って、エネルギー(仮)を求めてもいない。
創造の方に自分が行っていないので、ある意味現実に生きてる感はある。
こういう日は、事務的作業とか、勉強とか、無機質な作業とか、淡々と黙々と何かを進めるのに向いている。
音楽を聴いたりしても、引きずられることはあまりない。

「空」の日と「無」の日は似ているようだけど違いがあって、両方ともエネルギー(仮)が蓄えられていないことには変わりないけど、吸収しようとしてるかどうかの違いがある。

「隙間」の日
「空」の日に似たような状態だけど、空っぽまでではない状態。
いくらか容量はあるけど何も受け付けたくない日もあって、不思議とそういう日ほど外からの刺激を吸収しやすくなっていたりする。すぐに感化されるのがわかっているから、自分から近付かないようにしたり避けるようにしたりする。
逆に、いくらか容量があるから敢えて何かを受け取りたくなっている日もある。そういう日は本屋とか図書館とか、音楽が流れる場所とか、人が多く居る場所とか、そういうところへ行きたくなる。
「自分に活字を入れたい」とか言いながら本屋に行ったりするのは、こういう日。

そういえば、「フル」の日の時に「アウトプット」という表現をよくするけど、ちゃんと説明しないと相手に伝わらない表現だったりするらしい。
だから、自分以外に同じ意味で「アウトプット」と表現している人に出会った時は嬉しかった。
同じように感じている人が世の中に居るってわかるのは、やっぱり嬉しい。
そういう人の表現するカタチを見て、また刺激を受け取ったりして、自分の毎日が続いているようです。

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