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バイシクル


そんときゃ、俺のすべてだったさ。

その出会いは唐突で、

目黒通りのオンボロ自転車屋。

中古の自転車。

ママチャリを母親が家計をやりくりして買ってくれた。

俺の最初のバイシクル


正直、俺が自転車に乗る⁉️

想像つかなかった。

俺は筋金入りの運動オンチ、糞よりひどいウンチだったからさ…

あれは、小学4、5年生くらいだったんじゃないか?

うちの家系は芸術家肌が多く、運動神経はからきし駄目なやつが勢ぞろい。

うちの家族じゃ、父親以外は自転車を乗りこなせるやつがいなかったのさ。

当時の俺も、自転車は別世界の乗り物だと思ってた。

てなわけで、目黒通りの自転車屋から世田谷の自宅まで、

距離で言えば5、6キロの道程を、俺は母親とべらべら喋りながら自転車を引き引き帰った記憶がある。


「自転車は転んで覚えるものよ。」
母親は乗れないくせによくそんなことを言ってた。

俺は痛いとか苦痛とか、

恥ずかしいとか、

自分らしくないのが大嫌い。

だから、転ぶなんて論外。
転ぶのは嫌だ絶対。
転ぶくらいなら、壁に激突して死んでやる。
そんな感覚で、その晩から練習を始めた。


まずわかったこと。

ペダルを思いきり踏み、スピードを出せば、ぐらぐらしない。

バランスがとれる。転ばないでいける。

なので、いきなり猛スピードで走り出した。

これが結構良くて、コツをつかみ、ほぼ1日で乗れるようになった。


んで、スピード出すから、結構な距離を走ってしまう。

その日から毎晩、18時から自転車で散歩に出かけるのが日課になった。

毎日2時間を目安に

片道1時間、とにかく風の吹くまま気の向くまま、

その日の気分で方角を決め、出発する。

体内時計を便りに、何処までも行く。

きっちり1時間、どんなにそこから先に行ってみたくても、その場からすぐさまUターンし帰路に着く。

そんな感じで数年続けた。

バイシクル生活の始まりだ。

とにかく風を感じるのが楽しくて、楽しくて

徒歩やバス、電車では味わえない、自由な気分と行動範囲の広がりを楽しんだ。


やがて、数年後、受験戦争に入るまで、毎日飽きもせず

サイクリングという名の夜の徘徊を続けていた。


思えば、あの徘徊の日々。

音楽配信サービスもなく、ウォークマンもラジカセさえも手に入らないクソガキの頃

ラジオから流れてくる、覚えたての楽曲を友にして

頭の中でリピート再生しながら

俺のバイシクルで

世田谷、目黒、大田、渋谷、杉並の街角を徘徊制覇して行った。


港区には制限時間内には行けなかったけれど、

というか、当時の三茶のクソガキに、港区の概念はまだなくて、

渋谷から先、山手線圏内の都心部は都会過ぎて、子供が立ち入れる場所ではなかった。

たまーに、親にくっついて表参道、青山通りあたりまで遊びに行けると、

思いっきしアナザーワールドで胸がときめいていた。

多分、その頃の強い憧れから。

その後、第二のペルソナとなる

青山晴臣の「青山」ネーミングの由来となったのだと思ふ。

ルーツは意外に単純なものなんだよな。


さて、話を自転車に戻そう。

俺の愛車、中古で、20インチくらいのママチャリ。

目黒通りで買われ第二の人生を三茶のクソガキにこき使われて

心底愛されたバイシクルよ


毎日、ガチで乗り潰したせいで、

第二の人生は意外に早く終焉を迎えた。


俺の人生で一大イベントの高校受験と

一族のお家騒騒動の勃発で

三茶の生家を離れ

神奈川県へ都落ちすることになり

バイシクルはお家騒動の発端となった叔母からの

入学祝いの新品のママチャリにとって変わられ

廃棄処分の憂き目に遭いそうになった。

がしかし、

俺と運命をともにしてくれたバイシクルは都落ちの先にも連れていき。

因縁の「入学祝い」もとい「入学呪い」の代物は早々に公営駐輪場に打ち捨てられた

捨てたのは俺だ。

母親は

因縁の敵からの贈り物ではあったが

新品の自転車をなんの躊躇なく打ち捨てた俺を見て

「ちょっと、勿体なかったわね、でもいいわ。」

とのんきなことをのたまった。


俺はしばらくバイシクルを乗り続け。

いよいよ、チェーンも外れ、

サドルもボロくそのゴミみたいになってから引退してもらった。

もう、その頃には

新品の自転車など

好きなだけ買える経済状態にはなっていたから

誰にも何も言われず

ご苦労様でしたと愛車バイシクルのサドルをひと撫でして。

引退していただいた。


それからの人生

数え切れないほど優秀な自転車に遭遇して来たけれど。

俺にとっては今でも

目黒通りからやって来た。

サビ落とし泣かせの健気なバイシクルが目に浮かぶ。

誰にも邪魔されない

自分だけの空間と

時間と

空気感

文字通り

初めて「自由」を肌で感じさせてくれた。

オンボロ「バイシクル」を

俺は今でも愛している。


ー了ー



ありがとう。あなたの真心のサポートに感謝します。