bluemharry
青山晴臣と申します。 エッセイストです。詩人でもあります。 ハリー青山、またはbluemharryの名でお見知りおきを。 東京都目黒区生まれ 世田谷育ち 物心ついたときには音楽と絵画(落書き)に心をうばわれ 記憶にはありませんが、当時の流行曲が流れてくると 尻を振って踊っていたそうであります。 絵に夢中になり 動物にも夢中になり 明けても暮れても動物の絵を描き続け 小学校にあがる頃には、読み書き力の進化から読書に目覚め 暇さえあれば図書室で動物の本を読むか 教室の隅っこで
生きることに意味はない。だから、意味を求めること自体がナンセンスなのだと気づくのが遅くて少し恥ずかしいね。でも綺麗事ではないこんな不様な自分も好きである。
毒親になるくらいなら、生涯一人でいたほうがいい。
僕の言葉が、どれほど人に影響を与えるかはわからない。わからないが、小さな期待もしてしまふ。生まれてきて良かったと心から思えたことのない日々が、いつか終わることを願って。
下戸の人が羨ましい。今日の僕は飲むことでイマジネーションを得ようとしている。以前の僕は音楽を創作のソースにしていたはすなのに、酒で感覚を鈍らせて自らを憐れんでいる。それは古いやり方だらう。だのに惰性でまだここにいる。成長しない自分がまだここにいることにただ苛立つ。これもまた一興。
気がつくと周囲の普通っぽい人々が風の時代やらパラレルワールドやら世界線とかいう言葉を普通に話している。なんだらうこの違和感。自分はスピ的なことはマジわからん。価値観が大きく転換している過渡期ということしかわからん。叡智の浅深を見分けられない現実逃避屋にならなきゃいいと願う。
身綺麗にして、格好つけて、好きなことをいっぱい挑戦して、丁寧に暮らす。そして、相手の立場に立ってちょっとだけ考える。そしたらキミ、モテモテだよ。
掃いて捨てるほどの、作品といえないくらいの代物をつくる。それでもつくらずにはいられない。創造こそが生きる証しとわかっているから。
書きたくて 書きたくて 涙がこみあげる こういう衝動は 俺だけなのか よくわからない 書く内容なんてない 書く理由なんて もっとない 誰とも共有すべき事象もない おかしいだろう 本当になにもない 俺は職人じゃないから 言われたことを書くことはない そう自分を仕向けても 他人の言いなりにはなれない 他人に合わせているほど時間は無限じゃない 俺の時間 どうか邪魔してくれるな 自分に対してだけ 所有欲はある 自分に対してだけ 承認欲求はある 俺の時間 もう勘弁して
困っちゃうよな。だって書くことを止めたら僕は死んでしまふから。そこまで追いつめられた人はあんまりいないだらう。書くことは生きること。僕の呼吸を止めないでね。
生きる意味を探す。答えはないとわかっているのに。でも探す。ただ生きていたいから。
高い境涯、広い視野、深い叡智、そして思いやりある優しい言動を自分に望むのがこんなに難しいとは。「自分、自分、自分」の呪縛から早く解放してあげたい。心は本来自由なんだよ。そのことを思い出して。
近頃、嬉しいことが続発するやうになった。いや、対して嬉しくないとそれまで思っていたことが、かなり稀有で嬉しいことなのだと気づいたのだった。 今はただ、毎朝目覚めると、命があることがただただ嬉しいのだ。こんな些細なことを嬉しがる自分が愛しい。 とすればますます優しくなれるし、すると周囲にどんどん優しい人が増えていくやうに感じられる。本当は優しい人に囲まれていたことに気づかないふりをしていただけなのさ。 自分の強烈なエゴのせいで沢山の人を傷つけていたかもしれない。そして何よりも自
嫌悪感はやがて好意に変わる。違和感はやがて憎しみに変わる。突然変異としておけば波風立たぬが、じつはどちらも同じこと。深層心理は承認済み。
「俺は雑魚やん」と言いつつも世界中雑魚ばかりだと片目を閉じて見下ろしているイヤなやつとして生きるのも悪くない。
根拠のない自信。根拠のない劣等感。それらが複雑に自分のなかに混在している。それらは単に構成要素でしかないのだが、性格や、ときには人格そのものだと勘違いしそうなときもあってなかなかしんどい。そして反動から制御不能になりゃしないかと自分が恐ろしくなるときもあるね。