鳥を飼う
鳥を飼う。生き物を手元に置く。私は生まれた時から常に何かしら鳥か犬といった身近な生き物がおります。父が鳥や犬を連れて来て、どの時期を思い出しても何かいました。私も当たり前のように故郷を離れても、セキセイインコ を手元に置きました。よく、安い鳥という表現が悪気なくとも使われます。
人間である私たちが違う種の生物をペットとして選ぶ場合必ず通る道があります。お金です。でもそれは、生体の価格ではなく、その種が健康に生きられる環境作りや獣医師、食事への費用です。鳥ならそれが安い鳥であれ高価な鳥であれ生体以上にかかります。3000円の鳥を病院に連れて行くだけで万札が飛ぶ事もあります。なので生体の価格は人がこちらの都合で付けたもの、そこで終わりではありません。そこからお金がかかっていきます。
そして時間や気配りも必要です。彼らには感情があり、時に病気の予防の為発情抑制をしたり、規則正しい生活や栄養、日光浴等いろいろ。その積み重ねが時間と共に想い出を作っていきます。トラブルもあるでしょう。全て縁が紡いだ日常の出来事です。
私は今うつ病の治療をしていますが、困りごとがあります。生き物は生命を持った預かりものでもあります。人が連れて来て一緒に暮らす以上、安全と健康を守る責任があります。私はいつも先回りでトラブルを想定し、病気や怪我、逃さないように用心します。でも発情抑制はなかなかうまく行かず頭を抱える飼い主さんも多いでしょう。今回6歳直前での初産で卵塞を起こさせてしまいました。うつにコロナ禍、うつは回復に向かいつつも生死の問題に直面すると豆腐のメンタルに。
通っているメンタルクリニックの先生は、悪い事を想定しないよう仰る。鳥がいつか死ぬ事があるのもどうしようもない、と。間違いはないですが飼う以上、飼い主が防げる事はたくさんあります。最悪の場合どう動けばいいかシュミレーションも、震災を経て考えもします。こればかりは生き物飼いの方針や飼わない人で理解されない事も。
鳥にも個性ってあるんですか、と犬を連れた方に聞かれた事もあります。私の鳥は喋ります。しかも食事に関する事は意思の疎通がそこそこ出来る食いしん坊です。気まぐれで、我が家で一番可愛がられるのが当然と考えています。そんな彼女を赤毛のアンのように思っているので、楽天的に考えるのは難しくへばってしまいました。生命の危機が週に3度。自分も倒れそうでした。
メンタルと責任の秤でシーソー状態。ワクチン接種も始まるし、飼い主が健康でいる事は大事ですね。以前獣医師さんから「人も鳥も健康になればいい」と言われました。バランスの取れた食事、岐宿正しい生活、運動。たった一羽のセキセイインコのもたらすものは、プラスかマイナスか。ここでこそ私はコツコツプラスの方向へやれる事からやるしかないんだろうと思います。
セキセイインコは、幸せの塊であると同時に、いらん事をする妖精でもありました。きっと他の犬や猫、その他多くのペット化された生き物も同じだと思います。悲しみの日は共に過ごした日々の想い出がのしかかる。それが意味する事は、幸せであった、と考えられるよう、前向きにその日を先に伸ばす為にあがきましょうか。うつ薬飲みつつ。もうやめたいけど減薬がむずかしいそうで。副作用で大イビキかいて鳥に真似されました。睡眠時無呼吸症候群の通院も始まるし、これはきっと体を張ったギャグなんだろうと、前向きに薬飲んで酸素マスクが必要になったらキリコのように放り投げてむせる、とか言えるよなあ、とか。
某アニメの台詞、「生きたくもなければ死にたくもない」私はそんなうつ。
でも鳥がご飯食べる時、モグモグしながらイイ顔でこっちを見る度、指の上に暖かい小さな脚が乗って羽繕いしてる度、現状維持でいいや、と絵を描ける時は描いて幸せの時間をそこに留めて、鳥を飼う日々です。
それではまた。