忘れてた思い出がよみがえる時

小学生の時に引っ越した家の近所に、「デイリーヤマザキ」があった。

今で言うところの「コンビニ」ではなく、小さな個人商店がやっている酒屋さんにデイリーヤマザキの看板をつけたようなお店だった。

小学生の僕は毎日のようにお菓子を買いに友達と通ったし、家族から頼まれる牛乳や朝のパンなどちょっとした買い物はスーパーに行かずデイリーヤマザキで買っていた。

引っ越してから毎日通うようになって、「店主のおっちゃん」に顔を覚えてもらえるようになった。いつも笑顔で、気さくに声をかけてくれるおっちゃんが大好きだった。

ある日、友達とお菓子を買ったとき、僕だけ「端数はおまけだ、いらないよ!」と消費税の端数をおまけしてくれた。続けてお菓子を買った友達は端数をおまけしてもらえなかった。

またある日、店先にある自動販売機が壊れて、一本買ったはずのジュースが止まらず次から次に出てきた。取り出し口から取り出すのも間に合わずジュースはどんどん出てくる。おっちゃんは笑いながら「大当たりだ!持っていけ!」と言って3本ジュースをくれた。




僕も大人になり実家を巣立って20年が経った。




親父から「やまざきのおじさんが亡くなった」とメールが来た。

僕はピンとこなかった、「どこの親戚だっけ?」

よく聞くと「デイリーヤマザキのおっちゃん」だった、、、

わかった瞬間、記憶の奥底にあったおっちゃんとの思い出が、溢れるようによみがえった。実家を巣立って20年間1度も思い出すことなんてなかったのに。

おっちゃんの笑顔が好きで毎日通っていたのかもしれない。おっちゃんに可愛がってもらえることが嬉しくて毎日通っていたのかもしれない。おっちゃんに人の温かさを教えてもらったのかもしれない。

東京の片隅で「地域」が薄れてきた時代に生きている身として、おっちゃんのように素敵な「近所のおっちゃん」になりたいなと思った。

忘れてた思い出がよみがえる時、それはなにか新しい一歩を踏み出す時なのかもしれない。なんてな。


おっちゃん、素敵な思い出をありがとう。

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