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恥じを捨てるところから見つめ直す

“目標”を選定するのが苦手だ。
しかし自分がどうなりたい、と思うことはできる。
それは“憧れ”がたくさん存在するからだ。
オシャレに服を着こなすモデルさん、タレント。
素敵なライフスタイルを送るインフルエンサー、YouTuber。
感動する作品を生み出すアーティスト、製作陣、演者。
笑顔にさせてくれる人、見守ってくださる人。
色んな分野において“憧れ”がある。
しかし「いいなぁ、そうなりたいなぁ」と漠然と思うだけでいつも終わっている。

まずは、自己肯定感が低い。
しかし憧れはあるために、自撮りやコーデスナップで発信していくこと、自分の作品を見てもらうことに手を出してみる。
でもやはり自信がない。
「上には上がいて、自分なんかが発信するものを好む人なんていない。いたとしても同情心だ」なんて、捻くれた思考になる。まあ、このnoteもそうだ。
そして人にも“夢”を語ることを恥じてしまう。
「将来どうなりたい?」なんて聞かれたら、狼狽えてしまう。
そのくせ面倒なもので、“かっこつけ”だ。
完璧でないくせに完璧を演じたがる。ゆえに、自分が「恥ずかしい」と思っている事柄は、自分に対しても素直になれない。
なので、ここではもう恥を晒していくことに決めた。

ただのネガティブ思考に思えるかもしれないが、ネガティブな人でも努力する方も多いだろう。
私の問題な点は、“憧れ”に対する姿勢だ。

私は中学生までピアノを習っていた。
同級生にピアノが上手な子なんて山ほどいて、よく遊んでいた友達もその一人だったし、彼女が弾くピアノはやさしくなめらかで素敵だった。
上手い子はいつの間にか周知になり「合唱の伴奏はやっぱりあの子だよね」と口々に言われているのは羨ましかった。
しかしアホだった私は、それを“才能”だと思っていた。
もちろん才能もあると思うが、彼らがどれだけ練習をし、どれだけその物事に関心を持って取り組んでいたか、が結果として表れていると知ったのはずいぶん後のこと。
“やらなければいけないこと”に関して苦手だった私が、彼女たちのようになれるわけがなかった。
それはどの分野においてもそう。
勉強も出来ず(したがらず)、得意分野もない。
どれにおいても熱心に取り組めず、飽きてしまう。
その中でも唯一、“絵を描くこと”と“オシャレをすること”においては長く好んでやってきたが、“絵を描くこと”ももう辞めてしまった。
作品を創り上げる人たちが「とにかく作る、発信する」「回数を重ねながら成長していく」と語るのをよく見かける。

とにかくやり続けることが大事なのだ。
そんな当然なことを理解するのに20年以上もかかった。

SNSで知り合った、とても仲の良い友人がいる。彼女は絵が得意だ。
知り合った当初は「可愛らしくてポップなイラストを描くなぁ」くらいの印象だったが、今となっては様々な技法でイラストを描き、その界隈では人気な絵描きとなった。
彼女はとにかく時間があれば絵を描き、SNSで発信する前に私に見せてくれて「どう?変なところない?」「どっちの色がいい?」と意見を求めてきた。
その姿を見て、初めてかっこいいと感じた。
私は自分が意見を求めることですら「恥ずかしい、かっこわるい」と感じていたからだ。
なのに刺激を受けたのではなく「ここまでの熱量は私にないなぁ」と諦めたのだ。どうだ、ダサいだろ...

続けることが大事だと気付いたのは、彼女のフォロワー数がぐんぐん上がっているのを近くで見たからであった。
気付いたとて、人はそう簡単に変われないのも事実で、色んな書籍を読み込んでも、成功者の教訓を読んでも、実行してみるがうまくいかない。

ある時、一日の計画を立てて実行してみよう!と実践してみた。
出来る人はなんとも感じないだろうが、私にはとても難しかった。
かしこい人は「それじゃあ無理だよね」と思うかもしれないので恥ずかしいのだが、“読書する”、“手帳を書く”としたざっくりした目標の計画を立ててしまっていたからだ。
では「具体的に目標を決めると実行しやすい」というアドバイスを見て、「この時間から30分読書する」「この時間に手帳を書く」に変更してみた。やはり続かない。というか、定まれば定まるほど実行する気になれない。
そういう人は、私だけではないと思う。(思いたい)

やっぱり私はアホだし、期限とかに弱いし(仕事では責任感はあったのでそこそこやれてたけど)、できるわけない...と諦めていた。結果自己肯定感が下がる一方であった。
転職活動している時も、この状態では受け答えもうまくできず、「本当にやりたいこと」から遠ざかるばかりだ。もはや就職すらできるかどうかも怪しい。
それは避けたい。
では、ハードルをかなり下げるところから始めてみるのはどうか、と考えた。

私の場合、たとえば、「20:00〜20:30 読書」とすると予定時間前はソワソワしてしまい、「やっぱり21時からにしようかな」「今日はいいか...」といった思考になってしまう。
なので、あえて「一日のどこかで3ページ以上読書。その中で好きな一文を探す」と“ざっくり&具体的であるが、無理のない目標”に変えてみた。
そうすると、SNSをただ眺めている時間を辞めたり、寝る前の時間や、浴槽に浸かっている時間などにその計画を差し込むことができた。
お湯を沸かす間でも良い。そう、スキマ時間に充てる程度の計画だ。
それが馴染んできたら、目標ページ数を増やしたり、時間を定めたり(これも5分、10分程度でいい)していく。
なんとなく「縛られてる感」が薄れていくし、ルーティン化していくようになった。
※読書は好きなので、あくまで例である。

目標を達成していくとステップアップできるようになることが見えてきた私は、「自分と向き合う時間」を考えた。
長所・短所を書き出し、短所に対してどう克服するか。自分はこれから何をしたいのか。
将来の展望が大きすぎると「いや夢大きすぎ、アホな私に達成なんて無理。恥ずかしい」と今までは思っていたので、誰かに打ち明けたこともどこかに書き記したこともない。
今は、それではいけないと考え、その目標に辿り着くまでの過程をイメージしながら、細かく目標を定め、どこまでなら自分はできるのかという洗い出しを行なっている最中だ。
最中、というのは、「やるぞ!」と思っても何も思いつかないから。
「あれ、これってもしかして私の長所かもな」とか「あ、こうなるにはこれができないとだよな」とふと思った時に向き合うようにしている。
自分に甘くても、出来ることはあるのではないだろうか。

部屋は一見綺麗だが、クローゼットの中はごちゃごちゃしている。私はそんな人間だ。
それでも、思い立った時にクローゼットの、この部分は整理するか...という思考で続けられれば、どんどん範囲を広げることがもちろん大事だが、最終的にクローゼットの中も整理整頓されるのではないかと思う。

もし同じように、自分に甘いと分かっていながらどうにかしたい...と考えている人がいれば、ほどよく甘く、一緒にがんばろうね...


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