四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
大学生の頃、カフェのバイトとデパ地下のお惣菜売り場のバイトを掛け持ちしていた時期があった。隙間の時間にふと立ち寄った少し洒落た感じの本屋さんで、この本を見つけた。
薄い本だった。というか、これを本と呼んでいいのか?と思う、それは8ページ分がじゃばらのように折り畳まれ、表紙代わりの封筒に入った、「文鳥文庫」というシリーズのひとつだった。
その斬新でシンプルなデザインと、手軽さと、「村上春樹」への小さな憧れから、私は思わずその本を手に取った。
結論から言うと、私はこの物語をとても気に入った。短い物語の中に奥行きがあって、何度読んでも飽きなかった。
村上春樹の作品は、後にも先にもこれしか読んだことがない。
外出自粛のGWに、ノルウェイの森か1Q84でも一気読みしようかと考えている。(読みきれるのかはさておき。)
それにしても、素敵なタイトルだと思う。
誰かにとっての100パーセントの女の子になれたら、それだけで他のことはもうどうでもいいのかもしれない。
みんなにとっての数十パーセント(適切な数字が思いつかなかった)でいる、ことと
誰かにとっての100パーセントになる、ことは
どちらの方が難しいと思いますか。
また、どちらの方が価値があると思いますか。