noteで仲良くして下さっている、フクちゃんさんの記事(読書日記:Humankind 希望の歴史)が非常に興味深いお話でした。
ちなみにAmazonでは、この本の内容が以下の様に書かれています。
「希望に満ちた性善説の決定版!」と書かれてあるので、性悪説を覆す内容が書かれているようです。
本来ならば、こちらの本を読んでから記事を書くべきなのですが、フクちゃんさんの記事を拝見した現時点で、自分は性善説と性悪説に関してどの様に考えていたんだろうと思いました。
まず前提として何を善や悪とするのか?
ライオンが生きるために他の動物を殺したからと言って、誰も悪だとは思わないかと思います。
よって人類が営む社会(例:儒教を中心とした日本社会)における善悪と定義したいと思います。※地球規模でみれば、社会活動を営む人間の存在自体が悪なのかもしれませんが‥
その善悪には、フクちゃんさんが記事で仰られた様にグラデーションがあり多くの人間は、社会的に善とされる行動を取るように自らを律しながら生きているのではないでしょうか?
性善説と性悪説についても、wikipediaで調べてみました。
他にも…
大昔から善悪について、これだけ多くの人が様々な説を立てていたのですね…
孟子の意見も、荀子の意見も、「なるほど」と思いますが、私は生まれついての善も、生まれついての悪も両方存在すると思います。
時はまさに世紀末でありますが、この腐敗と自由と暴力のまっただ中であっても、本当に素晴らしい人格者(善)だと思える人に出会ってきました。
もちろん、希望に満ちた性善説の決定版である「Humankind 希望の歴史」や孟子が言う性善説を支持したい気持ちはあります…
しかし、世の中にはどう考えても説明がつかない悪もこの世にいると感じています。
おそらく井戸に落ちそうな幼児を、そのまま突き落とす人間も中にはいるかと思います…ただ、その様な人間の前頭葉では、先天的か後天的に何らかの機能障害が起きているのではないかと私は考えています。
そうでなければ、説明がつきません。
多くの人類は、社会的な善に向かって自らを律しながら社会生活を営み、最終的には他人の為に何か善行をしたいといった素晴らしい人間がほとんどであると信じています。
悪としてこの世に生まれた私も、できるだけ善に近づきたいと思いながら、この狂気と希望と幻滅のまっただなかを生きている一人です。
おわり
※画像はrich_poppy335さんよりお借りしました