日記 penguin. 2
今朝の夢にぺんぎんが出てきた。
もうしばらく夢に出てこないから元気にやっているものだと思っていた。
夢の内容は、家族のことでぺんぎんが悩んでいるというものだった。彼には奥さんと小さな女の子がいたはずだ。
わたしは生存しているはずのぺんぎんに二行メールを書いて、最近友人のくまさんに教えてもらった雑誌の藤井くんと羽生さんの記事をつけた(この友人のくまさんというのがこれまたすごい人格で注目している)。
だいたいわたしは暑苦しい人間なので、
いちばん古い友人のぺんぎんには
「あなたは一番古くてだいじな友人だから、
わたしはおばあちゃんになってもメールする」
と宣言した。
わたしたちはプラトニックにずっと一緒に学生食堂で饂飩を食べていた仲なので、
なにしろ私は彼の精神的危機を夢で察知するぐらいなので、
そこまで言い切れるぐらいの間柄ではある。
なのにこのぺんぎんときたらいつも暖簾に腕押しで返事が来なくて、
わたしの暑苦しいメールなんて読んでいないものと思っていた。でくのぼうというのはこういうことか。
だいたい男性のメールって基本返事が来ない。
それで夕方メールを見たら、
「ずっと不義理をしているのに気にかけてくれてうれしい。」
と一行返事が来ていた。
うれしいとかかなしいとか、彼からそういう私に関しての感情の話をもう何十年も聞いていなかった。
というかわたしの暑苦しい愛情表現に不義理をしている自覚があったのか。
わたしは泣いてしまった。
だいたい月の満ち欠けやホルモンバランスの影響で死を意識する瞬間というのはたまにある。
PMSの時に鬱がひどくて大通りに飛び込むようなふらっとした瞬間がある。
こういう日常の中の死の意識というのは私に限った話ではないとおもう。
男性にもあるとおもう。
私たちは生きているのだから。
日本はある程度平和なので突然地雷が爆発したりガス管が破裂したりしないので気づきにくいけれども、
私たちはいろんな奇跡の重奏の上に成り立って生きている。
何か病気とか事故とか戦争でだいじに思っていた人がある日突然なくなって、
ふひゃあ。
という間抜けな声を出して、情緒不安にしばらく襲われて、献花をして、それで感情を誤魔化して、
何事もなかったかのように、日常に戻る。
そういう空虚な繰り返しをもういい加減、終わりにしたい。
その相手がわたしと家族や恋人の関係である必要はない。将来そうなるかどうかなんて知らん。
大事なのだからなんでもいい。
これは同時代を生きている作家さんや俳優さんや好きな棋士に生きているうちにファンレターを書くのに似ている。
さくらももこさんがあんなに早くお亡くなりになるとわかっていたらわたしはもっとファンレターをかいていた。休職中のあのかたも、公になっていないだけでなにかものすごく困っておられる可能性もある。
そんなこんなで、暑苦しいメールを書く。
気になる人にはちゃんと連絡をする。
その人との関係がどうなろうかとか 、その人が離婚するかとか、恋愛感情があるかどうかとか、家族になる可能性があるかどうかとか、
先のことなんてかみさまにしかわからない。
私のことが嫌いで返事がないならともかく、
返事があってもなくても、やっぱり気になるから。