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僕らがこの道端で泣いて、日本のまちをもっとすみよくしましょう。
以前、ロシアのサンクトペテルブルグという町に住んでいた。
同じ時期にサンクトペテルブルグに留学していた友人・ハチャプリ君がちょうど一時帰国をしていて、会うことになった。
その日わたしはロシア関係の先生と食事をしており、ちょうど同じ駅に住んでいるそのハチャプリ君を呼び出した。同じ専門分野なので初対面同士の先生も、ハチャプリ君もすぐに意気投合した。
イタリア料理屋に集まったわたしたち三人の共通点は、皆ロシアに滞在経験があり、サンクトペテルブルクが好きだ、ということだ。
カルパッチョを食べながら、先生はおっしゃった。
「ロシアのまちで、女の人同士が殴りあっているのを見たことがあるわ。」
ロシア人の女の人って、なんのために殴り合うんだろうか。男を取り合って殴り合うのだろうか。取り合う対象の男はそんなにいい男なのだろうか。
わたしは女同士で殴りあったことがないので謎は深まるばかり。
ハチャプリ君もいった。
「サンクトペテルブルクの道端で、女性が大声を上げて泣いているのをよく見かけますよね?」
「よね?」とハチャプリくんはイモを食べながらわたしたちに同意を求めたのだけれども、たしかにわたしもサンクトペテルブルグの町に住んでいたけれども、わたしはロシアの道端で女性が大声を上げて泣いているのをまだ見たことがない。
日本の繁華街や都市部の駅では日本の女性が時々泣いているけれど、だいたいベンチに座って、体を折りたたんで、顔を見えないようにして、「しくしく」という感じで泣いているので、通りすがりの他人(わたし)としては慰めようがない。
日本のまちは、きっと人が多くて、みんなせわしなく足早に通り過ぎていくから、大声をあげて喜怒哀楽を表現しにくい、つまり泣きにくいのだと思う。みっともないから、人様に迷惑だから。そんなふうに教わってきた。
わかりやすく大声でわんわん、あるいはボロボロないてくれている方が、通りすがりの他人(わたし)としては、「どうさないましたか」とか言いながらハンカチやちりがみの出しようがある。
うれしい、たのしい、かなしい、くやしい。
大人になったわたしたちが、最後に感情を思う存分出したのは、いつだっただろう。
ハチャプリ君はロシアにもう何年も住んでいるから、わたしとは経験値が違うのだろうか。
ハチャプリ君はその後、「サンクトペテルブルグ市内の夜のバル(ビールのおいしい飲み屋)で酔っ払いのおじさんに絡まれて、おじさんの腰に差した数々の短刀のコレクションを次々と見せていただいたあと、『ナイフでお互いの手のひらを切って、互いの血と血を手のひらで混ぜあわせて兄弟の契りを交わす』ことを提案された事件」とか、その他諸々、さすがのロシア生活の話をしてくれた。
ハチャプリ君のロシア生活はまだ続く。
明朝の、成田空港発モスクワ行きの航空便で、ふたたびサンクトペテルブルグに帰ってしまうハチャプリ君の壮行会、ということで会はおひらきになった。
会がおひらきになり、ハチャプリ君はわたしを地下鉄の駅まで送ってくれた。
最近どうですか、と色々聞いてくれる。ちなみにハチャプリ君は普段そう見せないけれども本当はものすごく頭が良くて、しかもちょっとびっくりするほど記憶力がいいので、わたしが以前ポロポロ話した愚痴とかもうほんとうにしょうもない話とか(そして話したわたしは忘れていることを)、色々覚えてくれている。
ハルカさんの心配事だったあの件は、そういえばどうなりましたか、と聞かれて、わたしは不覚にもぽろっと泣いてしまった。
傍目には別れ話をしているカップルみたいな構図になってしまった。わたしは鞄からハンカチを取り出してほろっと泣く。
なんかごめん、別れ話みたいな構図になっちゃって。夜の地下鉄の駅前なので目の前には客まちのタクシーがとまっている。
ハチャプリくんは言った。
僕らがこの道端で泣いて、日本のまちをもっとすみよくしましょう。
(2017.5)
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