3.11が近かったからか、最近よく10年前のことを思い出す。
3.11が近かったからか、最近よく10年前のことを思い出す。あの頃はなんで生きていたかもよくわからなかった。
昨日は2コマ授業して、夕飯を食べながら通訳のO先生が出してくださった宿題をして提出して、翌日の、通訳のK先生の授業の予習をする(今3人の通訳の先生にロシア語を習っている)。
私のオンラインレッスン中、生徒さんたちは集中のあまり授業中は大変厳しい表情をされているのだけれども、最後に楽しかったと言わんばかりに笑うのがとてもかわいい。
レッスン中、私はサグラダ・ファミリアで有名なアントニ・ガウディのデザイン画をモチーフにしたマグカップで、ずっと水を飲んでいる。(だいたいお茶を入れる時間もないので水を飲んでいる)
緊張の続く授業時間、小休止で、買っていらしたジュースやコーヒーのようなものをずずっとストローで召し上がるのがかわいい。
10年前は会社員の営業をしていて、市町村役場のサーバールームなどの巡回をしていた。今思えばその仕事もそれはそれで住民や職員さんの役に立っていたのだけれども、なにせ相手が市町村や団体なので、納品をしても個人の喜びを以て「ありがとうございます」と言われるわけではなく。お客様の組織の入札や予算削減やらなにやらで失注したり、サーバールームでトラブルを起こせば(仕事で某市役所のホームページ用サーバをダウンさせたことがある)上司や先輩と一緒に謝りに行ってもらったり、小回りの効かない仕様なのでなぜ他社ができるのにオタクはできないのかと詰められたり、サーバに同居させる他社システムの兼ね合いでなんとも嫌味っぽいストレスフルな人たちと打ち合わせをしたり。
なんというか当時ソツなく仕事をこなして淡々と過ぎていくのがあたりまえで、でもそのソツなくこなすために対社内にも対社外にも膨大な気遣いと膨大なストレスが必要で、というかストレスばかり、という感じだった。退職する直前1,2年は原因不明の微熱が何ヶ月も続き、謎の耳鳴りに悩まされていた。常に耳から心臓の音がしていた。数カ月に一度は実家で親と喧嘩したり、あるいはなんやかやと泣き叫んでいたように思う。
医者にかかっても直接的な原因は不明で、今思えばストレスで扁桃腺が腫れていたのだと思われるのだが、その後ロシアに行ったあともそれは年に数カ月おこっていたのだけれども、今はそれもなくなった。
今は生徒さんたちが、私のオンラインレッスンの終わりに楽しかったとばかりに笑ってくれる。このミール式のレッスンをもっと早く習いたかった、勇気をだして貴女に連絡をしてよかった。って言ってくれる。言葉って面白いですね、って授業後にちょっと雑談してくれる。なんと幸せなことだろうと思う。あの時OLを辞めて本当に良かった。
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