外国語を自分で泳ぐ
ロシア語通訳の師匠がしばらく私のレッスンをしてくださっている。
最近は教材を私が自分で探してきて「これをお願いします」と言って数日前に送り、一緒に読んでいただく。
ロシア語通訳として30年のベテランである師匠のご経験量からすれば当日お見せするでもいいのかもしれないが、礼儀として数日前に送って、目を通す時間があるようにしておく。
自分で探してきて頼んでいるのだから予習しないでいくわけにもいかず、どんなにやることがいろいろあっても、時間がないという言い訳はできない。通訳の仕事だったら1日○万円という世界で働く先生にこのようなお月謝でやっていただいている以上、いろんなことの合間をぬって勉強していく。できなかったら早起きしてやる。最悪できていなくても、予習ができていないという理由では絶対にキャンセルはしない。忙しかった、とは口が裂けても言えない。そんなことは大人で仕事をしているのだから当然である。先生だってプロなのだから、予習ができていなかったらそういう時ならではの授業進行をしてくださる。
自分が教えているミール・ロシア語研究所形式のオンラインレッスンを振り返ってみても、予算的な問題はさておきやることがいろいろあるから勉強時間をとるのが難しい、とごにょごにょいう人を教えていたとしたら、お互い楽しくないと思う。私のところにくる子たちは誰もそんなことは言わない。結果的に予習ができていなくても私も怒らない、生徒さんも仕事や家庭のある大人なので。
いくら「その他の外国語」に分類されているロシア語とはいえ、スパルタンなミール形式でなくとも、もっと優しい語学学校は日本にたくさんあるからだ。ロシア語はラジオ講座だってある。
ロシア語と比べてトルコ語は通訳の試験も検定試験もないんですよ、と西に住んでいるトルコ語のウギャー先生がぼやいていらした。ウギャー先生は長崎の地から、みんなにトルコ語を優しく教えてくださっている。ご本人に話を聞くにとてもサービス精神旺盛で、生徒さんの興味関心をそぎ落とさないような授業に配慮され、とても優しい人であると思う。私のようにгдеの発音を10回も直させたりしないと思われる。トルコ語も家にいながらにして学べるなんて、いい時代になったものだ。
さて話はもどる。とにかく外国語に関して、私は自分で泳ぐことができない子だった。つまり自分の自習でぐいぐい単語を覚えたり、文章を読んだり、その外国語のラジオやテレビを見たりすることができず、教わったこと、習うことの姿勢から何年も抜けられなかった。
思えば8歳から9歳のころから聞き始めたラジオ講座「基礎英語」のリスナーだったころ、あのころは自分でぐんぐん覚えていた。毎月テキストを買ってもらい、中学2年生の学習範囲であるとかそんなことは関係なく、10歳の私はスキットを何度も何度も聞き、諳んじて、ときどきマイちゃんとブライアンが歌のコーナーで扱ってくれるマライアキャリーやABBAの歌を聴き、歌っていた。(当時の基礎英語2のご担当は辻麻衣先生、ブライアンペック先生だった)
学校や先生、ラジオ講座というのは泳ぎ方を教えてもらう、あるい道に迷わないようにところどころに明かりをともしてもらう存在である。ところどころにさす明かりは道しるべであって、目的ではない。
そういう私だったのに、いつのまにか泳げなくなったのはなんでだろうか。ということを、この間同業の人と話をしていて思った。
中学高校はまあまあの進学校だった。英語の試験の順位によって英語のクラス分けがされていた。範囲に指定された単語集は通学バスの中でも覚えていた。単語をひとつ間違えると大好きなあの先生には習えなくなってしまうという恐怖。点数が一つ違ったら、違うクラスになってしまうという恐怖。間違えるということがものすごく怖くなってしまっていたのかもしれない。自分で勝手に勉強してなにか勘違いをしたまま覚えたりして恥をかいたり、そこで運命がかわってしまうのがいやだったのかもしれない。
英語をおしりをたたかれるという恐怖とともに勉強していたので、大学に行くことができた。私の祖父は数学系の学者だったが、数学はさっぱりできなかったけれども、英語のテストがまあまあできればどこかの大学には行ける世代だったので結果的にありがたいこととおもう。
大学生になって、どうも大人数クラスになじめないので、少人数の、帰国子女の多い英語のクラスに変えてもらった。英語をぺらぺら操る子たちがたくさんいたけれど、私はさっぱり喋れなかった。
その後しばらく英語の翻訳学校に通っていた。上には上がたくさんいて、勉強するのが本当につらかった。
英語のプレゼンテーションを誰かと比べること、英語の知識定着度を点数ではかること、その点数によってこの先のことが決まってしまうこと。そういうことの恐怖が、外国語を勉強していて楽しい、面白い、嬉しいという感情よりも何年も何年も勝っていた。
Я больше всего люблю весну и осень.
Весной и осенью не холодно, не жарко, стоит приятная погода.
私が一番好きなのは春と秋です。春と秋は寒くなく、暑くなく、気持ちの良い天気が続くからです。
(『標準ロシア語入門』白水社、東一夫・多喜子 第37課「比較級」より)
私がボロボロになるまで持ち歩いていたロシア語の教科書には、最上級の勉強の項目に、こういう項目がある。
ことばを勉強しているとこんなに美しい文章に出会えるのに、自分で泳いでその美しさを探しにいけないなんて、なんともったいないことだろう。
そういうわけで、受験はもうとっくに終わった。他人に勝たなければこの先数年間を左右するような試験ももうない。もう一度8歳か9歳のころの自分みたいに、外国語のなかを自分で泳げる体力をすこしずつ、つけていこうとおもう。