10)これはいつか書かねばならないと思っていた話なのだけれども。
これはいつか書かねばならないと思っていた話なのだけれども。
大学時代、M先生の調査研究(当時慶應の宗教学や文化人類学の専門であった私は、M先生には本当に大変によくしていただいた)にくっついて香港に飛んだ私は、行きのキャセイパシフィック航空の飛行機内で米原万里さんの「ガセネッタ・シモネッタ」に衝撃を受けた。
日本がアメリカ文化圏の中である、というのもこのときはじめて知った。
そして「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」などなど、多数の著作に衝撃を受けた。
20歳ぐらいのときに付き合っていた人が自分のやりたいことや興味がかなり明確にある人で(今振り返ると20歳前後でそういう人は珍しいと思う)、優柔不断でかつ周りを優先させてしまいがちで当時目標も定まっていなかった私は結構それに振り回された感があり、それで別れて色々あって(学生の時というのは色々あるものだ)、すごく悲しい思いをしながら、自分がやっぱり興味があることをやろうと、近所のジョナサン(ファミレス)に車で行って、「CDエクスプレスロシア語」(桑野隆先生)を開いて、勉強していた。
CDエクスプレスロシア語は現在、「初級ロシア語20課」として刊行されている。
大学3年生になり、就職活動をしなければならないときになって、ゼミの指導教授に言った。「米原万里さんみたいになりたいんです。」
指導教授は間髪入れずに答えた。「彼女は帰国子女だから、あのレベルは無理だよ」
そう言われた私はしょぼんとして、それっきりかどうかわからないけれども、ロシア語を自分で勉強するのを殆ど辞めてしまった。
それから数年経ち、就職した年は黒田龍之助先生の「かたつむりのロシア語」入門編シリーズと、貝澤哉先生の応用編が流れていて、ロシア語全然わからなかったけれど、いつかやろうと思って、全部録音してあった。
いつかロシア語をやろう、いつかやろう、と思って、やっと「代々木の語学学校M」、ミール・ロシア語研究所の門を叩いたときには2010年になっていた。
指導教授に無理だよ、と言われていて5年ぐらい空白が空いてしまった。
その後ミールは2013年に閉校してしまうのだけれども当時はそんなことを知る由もなく、私は当時交通事故の後遺症が辛いのを言い訳にぼんやりとした時を過ごしながら、ミールに一応かろうじて通っていた。(当時は座っているのも鉛筆を持つのもつらかったので、生きて仕事に行くだけでも精一杯だったのによく学校に行こうと思ったものだとおもう。)
それから10年ぐらい経ち、私は10年勉強した(したのか?)わりにあまりできるようになっていないように思う。試験も苦手だから検定試験とか持っていないし、わたしと同年代でロシア語がもっとできる人はうじゃうじゃいらして、彼らは自由自在にロシア語を操っているようにも映る。
多分わたしのミール時代からの師匠のK先生も、今の私ぐらいの年齢のときには既に通訳でご活躍されていたと思う。
とはいえそんなことをうじうじと、人と比べても仕方ない。
ただなにかしらロシア語を始めて、細々と続けていると、ロシア語とロシア語圏の関係の方とは縁ができるもので。その後なんとなくキリル文字を使う職場にアルバイトながら3年いて、Р国特命全権大使G閣下に一度名刺交換をしただけで私の名前を覚えてもらうミラクルや、来客にアゼルバイジャンの極上に美味しいお茶をお土産でもらったりと、楽しい記憶はいろいろある。
先日とある仕事で、米原万里さんのお弟子さんのМさんとご一緒させていただいた。お弟子さんのMさんは法廷通訳などをされているとのことで、仕事後帰り道が一緒だったので色々お話を伺えた。
米原万里さんは10代をプラハのソビエト学校で過ごされたから、ロシア語はできたかもしれないけれども、むしろ通訳としての日本語に苦労されていた、という話を、その電車の中で私は聞いた。あの伝説の、著作だけ拝見すると最強とも思える通訳の方も、苦労されていた部分があったのである。
(米原さんを偲ぶ展覧会に行くと、通訳としてものすごい量の勉強をされていた記録がある)
米原万里さんと同じようになるのは無理かもしれないけれども、べつになれなくても、私達は米原さんとは違う個体できっと別のどこかに長所があるからそれでいいのである。
ロシア語に興味があるのなら、なんでもいいから、とにかく早くはじめて、続けること。そうしたら、米原さんみたいなトップ通訳でなくても、ロシア語とロシア語圏をめぐる物語に触れることができる。
現在私が行っている「ミールロシア語研究所形式のオンラインレッスン」、生徒さんは全国にいらっしゃり、全国からZOOMをつないでくださっている。
私は人生の長い時間を関東で過ごした人間なので関東の言葉をしゃべるけれども、名古屋、大阪、九州出身の生徒さんも居て、彼らは私とは違うイントネーションで、そしてあるいはものをはっきり言う/濁していう、そして土地柄さまざまに違う表現をする。それはなにが良いとか悪いとかそういうレベルの話ではなくて、人がそれぞれ生まれ育ってきた日本語(母語)の言語体験は様々であり、そしてそれらがロシア語とロシア語圏の事象に触れたとき、起こる感覚も人それぞれ、千差万別なのである。
だからいま私が、20代だった頃の私に言えるとしたら。
米原万里さんみたいになれるかどうかはわからないけれど、私の師匠みたいな一流の通訳になれるかどうかはわからないけれど。それはさておき、一日でも早く、ロシア語を、勉強し始めたほうが良い。ただそれだけである。
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