イントネーションを人に習うということ
昨日の記事「外国語を独学するか、習いにいくか」にて、外国語を誰かに習うことのメリットを考えてみました。
もう一つ、外国語を人に習うメリットを思い出したのですが「イントネーションを習える」ということがあります。
イントネーションを人に習うというのはどういうことか? 例を挙げます。
例文:Моя мать домохозяйка. Ваша мать тоже домохозяйка?
(私の母は家庭の主婦です。あなたのお母さんも、家庭の主婦ですか?)
文章がニつ並んでいます。二つ目の文章は、疑問文です。「あなたのお母さんも、家庭の主婦ですか?」
字面だけ追うと、最後に?マークがありますので疑問文であることがわかります。
この文で一番強調したいのは、「も」にあたる тоже という語です。
文字ではなく会話でこの情報を人に伝える場合、この тоже を強く高く、イントネーションをあげて言うと、疑問文ぽく聞こえます。これを強く高く、イントネーションを上げて言えないと、相手に対して、ただの断定になるわけです。
「私の母は家庭の主婦です。あなたのお母さんも家庭の主婦であります。」
…疑問の要素は消えます。なんでしょうね、断定になるとなんか語尾も変になるのは気のせい。貴殿の母御も主婦であります、って感じ。
母語を喋っていても同じことが言えますが、自分がどんな口癖をしていて、自分がどんなイントネーションあるいは方言、どんな言葉遣いか、というのは自分ではなかなか気づかないものです。母語にしろ外国語にしろ、自分の喋っているところを録音録画して自分で聞いてみると奇妙に聞こえるものです。ああこんなに早口だったのか、とか声が小さかったんだ、とか色々気づくものです。
ちなみに、私の日本語の口癖は「なんかね~」です。うちとけると出てきます。
話が逸れましたが、ネイティブの話者同士の会話であれば多少イントネーションが微妙であっても前後関係や状況、ニュアンスでもって、相手は質問をしているのか、断定したいのか、などはわかるものです。あっさりした静かな性格の人であればひょっとしたら疑問文も平坦にしゃべるかもしれません。ただ、ノンネイティブであった場合これを最初は大げさに言う練習をしないと、相手にたいして疑問なのか断定なのか、伝わらないわけです。旅行のシーンひとつとっても、相手に対して確認の意味で疑問を投げかけているのか、断定なのか、混乱して伝わると、話がややこしくなる場合って、ありますよね。
というわけでミールロシア語研究所の授業では「アナウンサーが喋る美しいロシア語」を目指して発音とイントネーションの指導が行われていました。私の開講している「ミールロシア語研究所形式のロシア語レッスン」でもそれを目指して、お伝えしたいと思っているわけです。
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