
ZORNの個人的最高傑作!「いたいのとんでけ」について語る。
ラッパーZORNの「いたいのとんでけ」という曲について語りたい。
この曲は実体験からくる言葉とストーリー、それを効果的に伝えるための曲の構成、そしてZORNの最大の特徴である韻、
(彼は誰もが認める日本最高峰のライマーでありこの曲でも完璧に意味を通しながらながーーーーいの韻を連発している)
この曲はその三つが完璧に調和しており、
日本語ラップ史で燦然と輝き続ける名曲だと思う。できれば下の文章を読む前に一度この曲を聴いて欲しい。
この曲は冒頭
起きれない朝に眠れない夜 途切れない悩みで失せた気力
というとんでもない歌詞で始まる。
タイトルの通りもうどこかへ痛みが飛んでいって欲しいと感じるほどに辛い日々を端的に表現した歌詞なのだが、何がとんでもないのか?
実はこの歌詞、15文字完全踏みなのである。母音を見てみると
「起きれない朝にねむれない夜」
→「おいえあいああいえうえあいおう」
「途切れない悩みで失せた気力」
→「おいえあいああいえうえあいおう」
たしかに完璧に一致していることがわかる。
ラップを普段聴かない人でもこの凄みがわかるように説明すると、母音はあ〜おの5つで構成されており、二つの15文字の文章を構成した場合それらの文章が同じ母音となる確率は(1/5)^15、約0.0000000032768%である。
この確率の中から、日本語として成り立つものを選ぶと当然さらに少ないし、さらにその中から曲のテーマにも合っているものを選ぶとなるとそんなもの本当に存在するの?というレベルである。しかしZORNはやってのける。これが彼が日本最高峰のライマーと呼ばれる所以である。
冒頭一発目の歌詞ですでにここまの文量となってしまったし、彼はこの後もこのレベルの韻を連発し続ける、そこに関してこれ以上熱弁するといくら書いても足りないので、曲を聴き、歌詞を見て体感していただきたい。
次にこの曲の構成とストーリーについて語りたい。
この曲はイントロサビ、一番、フック(サビ)、二番、フック(サビ)、三番、ラスサビという構成になっている。
イントロサビでは「いたいのいたいのとんでいけ」と繰り返され、その後上でも語った15文字完全踏みから始まる一番がスタートする。
一番ではひたすらに辛い感情が歌われ、曲が進むにつれてその悲壮感は増していく。サビ手前では
生きようの綺麗事よりも 明日死のうが今日の希望
という歌詞まで登場し、その辛い心情が来るところまで来てるのが伝わる。
そしてフック(サビ)
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
もうきえたい もうきえたい
きょう もうきえたい
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
もうきえたい もうきえたい
しにたくないけどいきたくないだけ
と続く。
そして2番は冒頭
そっかありがとう 真面目なお前らしいなほんと
優しきゃ損って変だよな 人生の意味なんかねぇかもな
と始まる。
実はこの一番はZORNのことではなく、彼の友人の代弁だったのだ。
一番と二番で視点が逆転し、二番でZORNは友人に言葉を投げかける。
よく闘った もう頑張んな
そしてサビに向けて語調は上がっていく。
クソッタレの誉高い生 命ってかお前が大切
なんで死んだらダメか なんて言ったらいいかわかんねえよ
そしてサビ前。僕の一番好きな部分はここ
一個だけわがままを 言っていいんならまた会おう
僕は辛い時にちゃんとかっこいい生き方をしている友人に対して、悩み相談なんかしてしまったらきっと後ろめたさだったり焦りを覚えるが、ここまで後ろめたさすらも包んでくれたら嬉しい。
そしてフック(サビ)へと続く。ここでは歌詞がZORN目線になる。
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
またあいたい またあいたい
あした またあいたい
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
またあいたい またあいたい
いきててくれたらうれしい そんだけ
そして三番は
誰も無傷じゃ済まないのが人生 吹き荒ぶ嵐を走って
上がり下がりや泣き笑い 悩みがない日を探し足搔き
から始まる。これらもガチガチに韻を踏んでいるのだがそれは置いておいて、ここではZORN自身の辛かった思いも語られる。
彼自身良いとは言い難い家庭環境の中で、不良になり、少年院で出会ったラップへの道。
そして芽が出るまでに10年かかったと彼の別の曲でも言っている通り、その道のりは生半可なものではなかったはずだ。
いいことは頑張ってもなく やなことはただ待ってもある それなら死にたいの悲鳴は それでも生きたいと似ていた
死にたい思いが、生きたいという気持ちの裏返しであることを、ここもバッチリ韻を踏んだ上で表現するZORNのラッパーとしての誇りと表現者としての挑戦を感じる。
そしてさらに時間が流れたところへ場面は転換する。
よう あれからどう よかった 晴れた顔
あの頃 同じ夢を共に見てたお前は俺の元DJ
ここでこの曲が彼と夢を共に追っていたDJへ向けた曲であったことがわかり、彼の心の闇が少し晴れたこともわかる。
この構成がすごい。曲自体が
誰かの辛さに寄り添う曲→友人へと贈る曲→夢を追っていた仲間へと贈る曲と変化していき、この曲をZORNがラップによって表現する意味がどんどん重くなっていく。
そう言えばLIVEがある
まぁ大したサイズじゃない
気が向いたら会場で
お前がこの曲針落とせ
曲の美しさとメッセージ性の二重の感動で頭おかしくなりそう。
先ほどこの曲の意味が重くなっていると言ったが
「お前がこの曲針落とせ」でこの曲の意味が完成する。
この曲は、心を病み、夢を諦めた仲間のDJへ贈る、彼がLIVEでそれへ針を落とすための曲だったのだ。
実際にこの曲はさいたまスーパーアリーナでのLIVEで、そのDJの手によって針を落とされている。
ラッパーとしても1人の人間としてもZORNがカッコ良すぎる。
そして、個人的にこの文章を書くきっかけとなったラスサビへと続く
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
どういきたい どういきたい
これからどういきたい
いたいのいたいのとんでいけ
いたいのいたいのとんでいけ
どういきたい どういきたい
ラスサビでZORNと私たち聴者が曲を挟んだ形で向き合う。ZORNはこの曲を通して生き方を見せた。仲間のDJの人生もきっと明るい方へと進んでいくだろう。
ではこの曲を聴いた私たちはどう生きようか?ZORNはそう問いかける。
そしてラストフレーズ
こんなうた とどきませんように
この歌詞は本当にすごい。この曲が心に届く人は、多かれ少なかれ辛いことがあって、それを乗り越えたか、もしくはまだ坂道の途中の人だろう。
ZORNはこんな歌がとどかない方が幸せだと最後に告げて曲を締めくくる。
実際この曲が出た当時ZORNらしくない、とかZORN病んでる?笑
みたいな感想があちこちで湧き上がっていた。そんな人々へも言葉を贈るZORNはほんとすごい。
ここまで読んだ人は9割9分この曲をすでに聴いたことがあって、好きな人だと思うけど、残りの人は絶対に聞いて欲しいと思う。
彼の曲は名曲揃いだからもしよければそちらも。
駄文を読んでいただきありがとうございました。