ミュージシャン①King Crimson~1

やはり何だかんだ言って自分の場合このグループが来てしまうんですよね。

グループというよりRobert Frippのやっているプロジェクト、と呼んだ方が近いのかもしれませんが(笑)。

ただ「 In the Court of the Crimson King」だけは違う印象なんですよね。後でRobert Frippが自分の色に染めてしまった、という要素もあるとは思いますが。

実際に「I Talk to the Wind」と「The Court of the Crimson King」の作曲者はIan McDonaldですから。

もちろん作曲者がそのアルバムの特徴を決定付ける訳ではないけれど、やはり「Robert Frippのグループが作りました」という作品ではないんですよね。

多分このアルバムの主導権を握っていたのはIan McDonaldなんだと思います。

このアルバムはどちらかというと「構築美」に近い要素が強く、アグレッシブな印象があるのは「21st Century Schizoid Man」だけでしょう。

これが後のKing Crimsonに続いているんだと思います。

だからこそこの曲は一時期封印されていたとはいえ、今でも代表曲として頻繁に演奏されているのだと思います。

「21世紀のスキッツォイド・マン」という邦題はいただけませんが。やはりこの曲は「21世紀の精神異常者」だと思います。

これじゃ「21st Century」を「21世紀の」に変えただけじゃないですか。

特定の人を指して「精神異常者」と呼ぶのはいかがなものかもしれませんが、この作品がそういう意味合いでないことは歌詞を読めば分かるはずです。

言葉狩り的なことをやっていても差別が無くなるわけじゃないんですよ。代わりに別の言葉が同じ用途で使われるだけです。

馬鹿じゃないのか、としか思えません。

って音楽の話書いてるんだった(汗)。

そうそう、このアルバム、King Crimsonの代表作と思われている方が多いと思いますが、それは違うと思います。

これはKing Crimsonのアルバムではない、と言ってもよいかもしれません。

まあそう言ってしまうと何がKing Crimsonなの?、という問題にぶつかりますが(笑)。

確かにいわゆる「構築美」一辺倒の「プログレ」と呼ばれる音楽とは一線を画しているし、インプロヴィゼーションの比率が高いのはKing Crimson的と言ってもよいかもしれませんが、基本的にKing Crimsonはジャズ・ロックだと思っていて、どちらかと言うと構築美的要素が先に立つこの作品は、少し意味合いが違うように感じるんですよ。

確かに良く出来たアルバムであることは言うまでもありません。ただ正直なところ、このアルバムだとKing Crimson的でない「Epitaph」のような曲の方が好きなんですよね。

自分の求めるKing Crimsonはここにない、といった感じです。

King Crimsonの中で好きなアルバムを3つ選んだとしたら、このアルバムは入りませんから。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。