作曲・編曲158
今日は昨日、中途半端な形で終わったので、続きを書きます。
当たり前ですが、多作が悪いということはありません。むしろ今の日本の音楽業界上は、それが当たり前です。
以前にも書いていますが、日本のポピュラーは、基本分業制で成り立っています。
もちろんそうでもない方も多いです。
ただ、基本クレジットを見ると、作曲者と編曲者が違う場合が大半です。
これは非常に効率的なことです。
言ってみれば、ベルトコンベアの流れ作業みたいなものですから。
数をこなすためには実に効率的な仕組です。
例えばつんく♂さんなんて、編曲しないで大量に曲を書いていたじゃないですか。
後工程は投げてしまった方が楽です。
得意なことだけやっている専門家が得意なことをやっている限り、失敗することは少ないし(少ないと書いたのは微妙な例も多いからです)。
実際プロでも、編曲が出来ない人は結構多い(リリース出来るだけの、という意味合い)。
というか、例えばシンガーソングライターで編曲までする方、実際には少ないです。
出来るんだけれども、編曲のプロに任せた方がいい作品が出来る可能性は高くなります。
ぱっと思い付くところで、ほぼ全行程を一人で完全に出来る(とは言ってもマスタリングは他の方でしょうが)方、山下達郎さんと宇多田ヒカルさん位なような気もします。
個人的な感覚からすれば、やはり宇多田ヒカルさんでしょう。
山下達郎さんの編曲は意表を突かれないんですよ。
当時は違ったのかもしれませんが、滅茶苦茶な編成とかやらないじゃないですか。
それに対して宇多田ヒカルさんは既存の概念に囚われないですよね。
ある意味、演奏者に失礼というか、音だけ考えて作っているのかと。
キックのためだけにドラム連れてくるなんて行為、普通では思いついても出来ないでしょう(「真夏の通り雨」)。
でも、これってミュージシャンには必要な感覚です。
というか、今書いていた内容を見ると完全にずれてますね…。
すみません、冒頭の続きはまた明日にでも。その後の続きもまた改めて書きたいと思います。