音楽における商業性⑦
昨日までは「クラシック」が、この国ではそれ自体では存在せず、補助金のおかげで生き長らえている、という話を書きました。
ただ、これはクラシックだけの話ではありません。
いわゆる「純邦楽」も一緒です。
依存度は「クラシック」より遥かに高い。
もちろん補助金の実額でいった場合、「クラシック」より遥かに少ない。
でも、市場自体がそれ以上に遥かに少ない。
だから依存度は比較になりません。
「クラシック」は、なんだかんだ言っても、「愛好家」は結構います。
もちろん「スノビズム」の影響は大きい。
「高尚」な音楽とされているから。
別に高尚でもなんでもなく、実際にはただの音楽です。
しかも「昔流行った音楽」。
ただ、そういう部分を除いてもそこそこ愛好家はいます。
日本の一定以上の音楽教育がそこを中心に回っているから、影響を受けやすい。
「純邦楽」も今は義務教育で必須化されていますが、実際の中身はお粗末。
教師が学んでいないから、教えられる方に教えられることがないんですよ。
なんだかんだ言っても、今の音楽教育はやはり「クラシック」を抜きに語ることは出来ません。で、その簡略化(というよりは劣化バージョンをやっているだけ)にしか過ぎない。
「唱歌」や「童謡」もありますが、低年齢層だけの話で、年齢と共に「クラシック」的な要素が増えていく。
そういった部分に対する「投資」が大きいから、間接的な意味での「補助金」が増える訳です。
ただ、教える側がそのことすら分かっていない。
まあしょうがないと言えばしょうがない。
分からないものは教えられないでしょう。
タイトルと全く関係のない話にしか捉えられないかもしれません。
ただ、実はここに「大きな市場」が隠されている。
もちろん「陰謀論」ではありません。現実に起きている話です。
明日はその点について触れたいと思います。