和声⑥

今日も予告通り、ポピュラーで「和声」が「コード進行」にすり替わったかについて書いていきたいと思います。

良く考えてみると、「和声」の話ではないのですが、流れなのでご容赦ください。

やはり昨日書いた通り、「コードの複雑化」により、和音の機能が希薄化したことが大きな原因であることは言うまでもありません。

対位法の影響が希薄であることが一因であることもやはり要因の一つ
でしょう。

もちろん「和声」で説明が容易に出来る曲も多いので、一概には言えませんが、こういう曲の場合、極めてシンプルなコード進行の場合が多いので、ここでは取り上げません。

ただこれだけでは片手落ちになると考えています。実は和音の機能は希薄化しているのですが、これは曲の中での話だからです。

ポピュラーのコード進行だと、部分的には和音の機能が強く表れます。

いわゆる「ⅡーⅤ」何て頻発するじゃないですか。

そしてこういったポピュラーで部分的な和音の機能性が頻発すると、それは
調性の希薄化を招くことになります。

昨日の話と被るようですが、被ってません。

昨日述べたのは「コードの機能の希薄化」、今日書いているのは「調性の希薄化」だからです。

もちろんこの2つは近しい関係のものであり、別の側面から見たものとは言えるかもしれません。

ただ例えばJust The Two of Us進行も、和音の機能性はある訳であり、だからこそ、和声で説明可能なものであることは確かですが、やはり調性感は低く、ⅣをⅠとしても解釈が可能な進行となる。

まあ良く考えてみると、クラシックが終焉を迎えたのも、後期ロマン派における、和音の機能の拡大解釈による調性崩壊だった訳で、実際のところは「和声」が「和声」を崩壊させた、と言っても過言ではないのかもしれません。

まあそれも含めたものが「和声」なのかもしれませんが。

ただここまで来ても、和音に機能を見出そうという考えもあります。

明日その辺について触れたいと思います。

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blue but green
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