作曲の方法論61

とりあえず「詩先」について書きましたので、次は「曲先」の話をまとめます。ただ「曲先」の場合、そこからの分岐が多く、また思考を重ねていく過程で変更した点も出てきたので、今日はまず一旦まとめ直したいと思います。

方法と手段の組み合わせ、という観点で考えてきたので、まとめが違っているとおかしな話になりますから、ここでも同じ考え方でいきます。

まず方法が

・頭の中にある音を具現化する方法

・頭の中にない音を生み出す方法

手段が

・メロ先「鼻唄を含む」

・コード先

・オケ先(ループ素材の使用もここに含める)

・上記3つの混合パターン

となって、その組み合わせ、ということになるので、それぞれについてまとめていきたいと考えています。

方法の分岐については一旦修正した上、この2つで書いて来ましたが、この点については変更ないと思います。

というのも「頭の中」にあるかないか、という点がポイントであり、これは二者択一の関係性になっているため、他の選択肢がないからです。

手段についてはここで整理し直しました。

当初は「鼻歌」を独立した手段としていましたが、「メロ先」に含めることにしました。

というのも「鼻歌」も「メロ先」の一種だかららです。少なくとも「メロ先」でない鼻歌というのは考え難いですから。

メロがなければ歌うことが出来ず、鼻歌にすらなりません(笑)。

「鼻歌」が決していいものだとは思えませんが、それはある種の偏見かもしれないですし、複雑な構造の作品が生まれる可能性は低いでしょうが、複雑であることがいい、ということでもないので、この点は修正したいと考えています。

後、どっちつかずになっていた「ループ素材」の使用ですが、これは方法の区分を変えることによって明確になってきた、と考えた上、「オケ先」に包括することにしました。

「ループ素材」の使用は単なる他の方の作った「パターン」の継ぎ接ぎだと考えていたのですが、実際には例えば他の方の「コード進行」の継ぎ接ぎで制作されている曲も多い訳で、これも単なる「程度の差」としか考えられなくなってきたからです。

また「手癖」というのも完全なオリジナルかというと、これもまた違うと考えています。

「手癖」は既存の楽曲を弾く中で構築されていくものですから、やはりそこには「他の曲」が含まれている、と考えた方が妥当かと。

「完全なオリジナル」というものが存在しない以上、やはり「ループ素材」の「継ぎ接ぎ」であっても、大きな違いはないように思えます。

むしろループ素材であれば、「ループ素材を使っていること」に自覚的であるが故に、オリジナリティがより強い作品が生まれるかもしれません。

まあ、どちらかというと、作る人のセンス次第、と言ってしまえばそれまでですが(笑)。

今日もまた最後に脱線しましたが、今日はある意味目次のような位置づけなので、明日からきちんとまとめようと思います。

また迷走するかもしれませんが(汗)。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。