作曲の方法論㉑
まだやるのかよ、って感じですね。さすがに㉑まで来ると(笑)。
大分ネタも尽きてきましたが、まだまだ枯渇はしていないのでまだまだ続きます。
そう言えば何でこんな話の展開になったかというと、「鍵盤楽器で曲を作る」がテーマだった、と思います(笑)。
なので一旦そこに話を戻してみます。
コード先の方がいい、ということがまず前提の話だったので、まずはそこから。
「コード進行パターン集」みたいなサイトだったり、本だったりありますよね。
あれははっきり言って「無駄」です。
楽曲の「分析」にも役に立ちません。「こういう進行がいい」と言っているだけで、何故その進行に意味があるのか、何故それがいいのかであったりとかが、ほぼ不充分です。
説明しているようで、特定の「部分」の説明しかしていないから、楽曲の分析になるはずがありません。
コード4つか5つ並べただけで「このコード進行を覚えておけば役に立つ」など、ナンセンス極まりない所業です。
「ノーサイド...続き」で書きましたが、確かにイントロの前半のコード進行は「Arther’sTheme」に似ていても、「Arther’sTheme」には存在しない「後半部分」があの曲の重要なポイントだ、という発想はまず「コードを4つか5つ並べただけ」で考える発想からは生まれません。
しかもそこで出てくる「コード進行」は「どこかの曲から引っ張ってきたもの」かつ「和声の機能」を考えれば容易に説明可能なものであり、もはやありきたりになっているものが大半です。
はっきり言うと、「ああ、このコード進行ですね」と思われるような曲が出来る可能性が極めて高いです。
これを避ける一番簡単な方法は何かというと、「極めて簡単な循環コードを使うこと」だと思っています。
何故かというと、まず第一に出現回数が極めて多いからです。
「この人大丈夫かよ?」と思われるかもしれません。
こんな連載を21回も続けている自分のような人間は大丈夫ではない、と言えるかもしれませんが、言っていることは割と確かです(笑)。
「数が多い」って重要なことなんですよ。大体簡単な循環コードなんて誰が始めたのかも良く分からないし、無数にあるから、「どの曲に似ている」とか「○○さんの曲で良くあるパターン」とは言いにくいものです。
あまりに多いパターンだと、誰がオリジナルか分からないので、もはや「パクリ」とかそういうレベルを超えてしまいます。
まあここまでは「何それ?」と思う方も多いと思います。
なのでもう一つ重要な点について書きます。それはやはり簡単なコード進行で曲を作ることが「怖い」と思ってしまう、という点です。
ここら辺がミュージシャンという人達の厄介な点で、やはり何か工夫しないと、って考えるんですよ。「何でこんなコード進行で曲作るの?」って言われるのが怖いから、そのまま使わないんですよね(笑)。
だから必ずと言っていいほど「工夫して何かを変える」んですよ。だからある意味「オリジナリティ」のある曲が出来やすい、と考えています。