作曲の方法論⑦
昨日は投げやり感のある記事だったので、続きを書くことにしました(汗)。
コード進行なんてどう並べてもいい、というのは間違いないと思っていますが、そうは言っても、という部分もあると思いますし、ダイアトニックコードを使っているだけだと、結局機能的和声の世界に回収されてしまう可能性が高いでしょう。
結局代理和音使っているだけでしょ、になりやすいし、代理和音である、ということはすなわち性格の似たコードである訳で、そこから導き出されるメロも主要三和音と同じような制約を受けてしまう可能性が少なからずあります。
その回避策としては、やはりノンダイアトニックコードの使用なり、転調といったことになると考えています。
ノンダイアトニックコードの使用については色々なところで触れられています。借用和音であったり、セカンダリードミナントであったり調べれば大量に見つかります。
ただ、見つけることは目的ではないですから。
ノンダイアトニックコードを使ったとしても、ただ使うだけでメロが調性の中にある限り、単なる装飾でしかありません。
肝心なことは
「ノンダイアトニックコードを使う時はメロにもそのコードを活かす」
ことだと思います。
オリジナリティを追求しすぎてノンダイアトニックコードを多用しずぎると、奇抜なだけの曲になってしまうかもしれません。
数をこなすことが目的じゃないんですよ。目的は「作曲」ですから(笑)。もちろんノンダイアトニックコードを多用していても優れた作品は数多くあります。ただその手法はあくまでも手段であって目的ではありません。
少しだけでいいんですよ。メロにそのコードが活かされていれば。むしろノンダイアトニックコードを多用した上でそのコードをメロに活かしたら、メロだけとったら無調の曲になるかもしれません。
まあそれはそれで面白いのですが。
別に調性音楽だけが音楽じゃないですから。自分も昔は無調の住人でしたし(笑)。
ただ一般性を持たせるのであれば、メロにノンダイアトニックコードをノンダイアトニックコードとならしめている音を使った場合、少量にした方がいいと思います。
やはりそれだけ調性音楽の吸引力って強いんですよね。というか一般的な方の耳は調性音楽に「慣らされている」ので、そこから遠く離れた曲は耳に馴染みにくいと思います。
で、そこから少し「ずらす」ことで新しくかつ耳に違和感のない作品が出来るのかと考えています
メロ先の危険性も、「調性音楽の吸引力の強さ」から発生する現象と考えています。その危険を回避する手段として、「調性外の音の使用」が有効でしょう。
って話が堂々巡りになってる...。
軌道修正しなきゃ...。
ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。